「大合併」の反省なし 宮本岳志議員 自治制度改編を批判 (しんぶん赤旗)
189-衆-地方創生に関する特別委員会-7号 平成27年05月20日
平成二十七年五月二十日(水曜日)
午前九時三十分開議
出席委員
委員長 鳩山 邦夫君
理事 後藤 茂之君 理事 佐藤ゆかり君
理事 新藤 義孝君 理事 谷川 弥一君
理事 寺田 稔君 理事 福田 昭夫君
理事 小熊 慎司君 理事 石田 祝稔君
秋本 真利君 井上 貴博君
伊藤 達也君 今枝宗一郎君
大岡 敏孝君 大野敬太郎君
加藤 寛治君 勝俣 孝明君
黄川田仁志君 工藤 彰三君
小泉進次郎君 白石 徹君
鈴木 憲和君 田中 英之君
谷川 とむ君 とかしきなおみ君
中谷 真一君 野中 厚君
平井たくや君 福田 達夫君
前川 恵君 宮川 典子君
宗清 皇一君 山田 賢司君
義家 弘介君 緒方林太郎君
奥野総一郎君 吉良 州司君
佐々木隆博君 階 猛君
武正 公一君 寺田 学君
木内 孝胤君 篠原 豪君
村岡 敏英君 稲津 久君
濱村 進君 田村 貴昭君
宮本 岳志君
…………………………………
国務大臣
(地方創生担当)
(国家戦略特別区域担当) 石破 茂君
内閣府副大臣 平 将明君
文部科学副大臣 丹羽 秀樹君
経済産業副大臣 山際大志郎君
内閣府大臣政務官
兼復興大臣政務官 小泉進次郎君
厚生労働大臣政務官 橋本 岳君
国土交通大臣政務官 うえの賢一郎君
政府参考人
(内閣府地方分権改革推進室次長) 満田 誉君
政府参考人
(内閣府地方創生推進室長) 内田 要君
政府参考人
(内閣府地方創生推進室次長) 若井 英二君
政府参考人
(金融庁総務企画局総括審議官) 三井 秀範君
政府参考人
(復興庁統括官) 吉田 光市君
政府参考人
(総務省大臣官房地域力創造審議官) 原田 淳志君
政府参考人
(総務省大臣官房審議官) 亀水 晋君
政府参考人
(総務省自治行政局長) 佐々木敦朗君
政府参考人
(総務省総合通信基盤局電気通信事業部長) 吉田 眞人君
政府参考人
(財務省大臣官房総括審議官) 迫田 英典君
政府参考人
(財務省理財局次長) 飯塚 厚君
政府参考人
(文部科学省大臣官房審議官) 中岡 司君
政府参考人
(文部科学省大臣官房審議官) 佐野 太君
政府参考人
(厚生労働省大臣官房審議官) 大西 康之君
政府参考人
(厚生労働省職業安定局次長) 勝田 智明君
政府参考人
(中小企業庁事業環境部長) 佐藤 悦緒君
政府参考人
(国土交通省都市局長) 小関 正彦君
政府参考人
(国土交通省道路局次長) 黒田 憲司君
政府参考人
(国土交通省航空局航空ネットワーク部長) 平垣内久隆君
衆議院調査局地方創生に関する特別調査室長 畠山 裕子君
―――――――――――――
委員の異動
五月二十日
辞任 補欠選任
伊藤 達也君 鈴木 憲和君
勝俣 孝明君 秋本 真利君
谷川 とむ君 前川 恵君
宮川 典子君 今枝宗一郎君
山田 賢司君 工藤 彰三君
緒方林太郎君 階 猛君
奥野総一郎君 武正 公一君
同日
辞任 補欠選任
秋本 真利君 勝俣 孝明君
今枝宗一郎君 白石 徹君
工藤 彰三君 山田 賢司君
鈴木 憲和君 伊藤 達也君
前川 恵君 宗清 皇一君
階 猛君 緒方林太郎君
武正 公一君 奥野総一郎君
同日
辞任 補欠選任
白石 徹君 宮川 典子君
宗清 皇一君 谷川 とむ君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
政府参考人出頭要求に関する件
地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律案(内閣提出第五一号)
地域再生法の一部を改正する法律案(内閣提出第五三号)
国家戦略特別区域法及び構造改革特別区域法の一部を改正する法律案(内閣提出第六五号)
――――◇―――――
○鳩山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
質疑を続行いたします。宮本岳志君。
○宮本(岳)委員 日本共産党の宮本岳志です。
前回質問で取り上げた大阪における住民投票は、約七十万五千対六十九万五千と一万票余りの差で反対が勝利し、大阪市の廃止分割は辛うじて食いとめられました。
私は、この住民投票に示された大阪市民の皆さんの良識と、大阪市を守れという一点での党派や立場を超えた共同に、心から敬意を表したいと思います。
同時に、投票率は六六・八三%と、有権者の三人に二人が投票に参加をいたしました。この住民投票の実施に至る経緯については到底賛成できるものではありませんが、百四十万人を超える市民が、百二十六年の歴史と伝統がある豊かな文化を育んできた大阪市を本当になくしていいのかと一人一人市民が真剣に考えた結果が高い投票率にあらわれたと思います。これは、賛成、反対いずれに投票したかにかかわらず、大阪市民にとって、自分たちの町の未来をみずから選び取る、地方自治の担い手としての行動だったと思います。
そこで、大臣にお伺いするんですが、ここにこそ、都市部、中山間地を問わず、町を再生、創生する力があるのではないかと私は思いますが、いかがでしょうか。
○石破国務大臣 それは委員のおっしゃるとおりです。
さきの統一地方選挙で、極めて投票率が低かった。同時に、無投票あるいは定員割れみたいなことが起こった。地方の自治あるいは地方の政治に国民は無関心だという話ですが、決してそうではないのだということでございます。
ですから、今回の地方創生もそうですが、いろいろなお立場はおありかと思いますが、本当に住民の方々に論点をわかりやすく提示すれば、必ず住民の方々は応えていただけるということであって、このような形で住民の方々、主権者の方々がきちんとした意思を表示されるということは、私どもの方も、いかにして論点を提示するかということについて大きな示唆を含むものだったと思っております。
○宮本(岳)委員 大臣は、前回の私の質問でも、統治機構を変えれば全部がバラ色になるというような錯覚に陥ってはならないという答弁をされました。私ももちろん同感でありますけれども、私は、今回の住民投票を戦ってみて、この統治機構論というものについて深く考えさせられました。
統治機構改革というわけですけれども、なるほど、統治する側は、二重行政だとか、効率がよいとか悪いとか、いろいろ言うわけです。しかし、そもそも、人は統治されるために生まれてきたわけではありません。統治されるためにそこに住んでいるわけでもありません。統治の都合などとは関係なくそこに生まれ、そこに育ったわけであります。暮らしているわけであります。だから、統治する者の、統治する側の都合で、こうした方がよいとか、ああした方が効率的だ、こう言うわけですけれども、それは少し違うのではないかということを強く感じました。
そうではなくて、やはり、そこに生きる人の暮らしをどう支えるか、そこの人々の住民としての主体的な力をどう発揮してもらうか、これこそまさに地方自治の本旨の内容だというふうに実感するわけですが、大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
○石破国務大臣 それもそのとおりでございます。
ですから、私の理解が浅薄なせいかもしれませんが、住民に身近な自治体でいろいろなことを解決すべきだというのは、原則論としてはそのとおりでございます。一方において、二重行政の打破というか弊害除去という論点があって、それと統治機構がどのように関係するのかということがうまく議論としてかみ合っていなかったのかなという感じがいたしております。
すなわち、大阪府という大きな自治体を廃して特別区をつくるのです、そこの区長さんは住民が選ぶのです、そしてまた議員も住民が選ぶのです、それはそうでしょう。そうすると、では、大阪府との間の二重行政は生じないのかといえば、それはそんなことはないはずだと私は思うのですね。
そういうようないろいろな素朴な疑問というものがあって、統治機構さえ変えれば何でも魔法のように解決するわけではないということにどう応えるか、それはやはり住民の意識であり、そしてまた自治体を運営する者の意識の問題であって、統治機構が必ず論理必然的にそういうような問題を解決するわけではございません。
○宮本(岳)委員 そういう意味では、賛成に投じられた方も七十万人近くおられた。つまり、今のままの大阪市に対する不満というものは非常に高いわけですね。
ですから、私たちは、大阪市はなくすのではなく、よくしようではないか、こう訴えてきたわけですから、当然ここで立ちどまるわけにいきませんから、本当に、今度の住民投票で賛成も反対も両方お示しいただいたその力で、しからばどういう大阪をつくるのかということにしっかりと取り組んでいかなければならないというふうに思っております。
それで、住民投票の結果、大阪都構想というものにはひとまず終止符が打たれました。しかし、私は、大阪からこういう議論が出てくる背景ということを考えたときに、総務省を初め政府がこの間一貫して進めてきた自治体政策があるのではないかということをきょうは議論せざるを得ないんです。
石破大臣は、昨日、我が党の田村貴昭議員の質問に答えて、こういうような制度があるから地域がそれに合わせるのではなく、そこの地域に合わせて制度を組み立てる逆の発想が地方創生には必要だ、こう答弁をされました。
しかし、今まで政府がやってきたことはどうだったか。
例えば、今回の連携中枢都市圏構想の土台になっているのは、言うまでもなく、総務省が打ち出した地方中枢拠点都市構想と定住自立圏構想であります。そして、これらは、その前に進められてきた、いわゆる平成の大合併の結果とその総括を受けたものにほかなりません。
二〇〇〇年に、当時の与党であった自民党、公明党、保守党の与党行財政改革推進協議会において、「基礎的自治体の強化の視点で、市町村合併後の自治体数を千を目標とする」との方針が打ち出されますと、税制の優遇から合併特例債による誘導、住民投票まで導入して大々的に市町村合併というものが進められました。二〇〇五年以降は、合併特例法までつくり、国や都道府県の関与のもと一層強力に推進をされました。
そこに追い打ちをかけたのが小泉内閣の三位一体の改革であります。地方交付税を二〇〇四年から二〇〇六年の三年間で約五兆円も削減するというもので、これが自治体に対するいわばおどしの効果を持ちました。
先ほどの合併特例債に代表される手厚い財政措置の期限が二〇〇五年度までの合併となっていたこともあって、駆け込み合併と言われる雪崩現象が生じまして、その結果、一九九九年三月に三千二百三十二あった市町村は、二〇一〇年三月には千七百三十へとほぼ半減をしたわけであります。
以上が、総務省が二〇一〇年三月五日に平成の合併についての総括として取りまとめた「「平成の合併」について」に書かれた内容でありますけれども、総務省に聞きますが、この報告書の四ページでは、総務省自身が「財政的な理由で合併を選択する市町村が多かったと考えられる。」と述べておりますが、事実でありますね。
○佐々木政府参考人 お答えを申し上げます。
市町村合併の背景としてはいろいろなことがございますけれども、財政措置がいろいろと講じられたということもございますし、また、財政状況が非常に厳しかったということも一つの背景にあったというふうに考えてございます。
○宮本(岳)委員 そのように分析をしております。
その上で、この文書では十ページで平成の合併の評価を行っております。そこでは、行政側の評価と住民側の評価が必ずしも同じものとはならないことを指摘するとともに、全国町村会が二〇〇八年十月にまとめた「「平成の合併」をめぐる実態と評価」にも触れております。
そこで、総務省に紹介していただきたいんですが、住民の反応はどうだと言っているか、また全国町村会の評価はどうだったか、お答えください。
○佐々木政府参考人 委員御紹介いただきました総務省の公表の「「平成の合併」について」におきまして、まず住民の反応につきましてでございますが、「「合併して悪くなった」、「合併しても住民サービスが良くなったと思わない」、「良いとも悪いとも言えない」といった声が多く、「合併して良かった」という評価もあるが、相対的には合併に否定的評価がなされている。」こういったような記述がございます。
それから、全国町村会の評価につきましては、平成二十年十月に「「平成の合併」をめぐる実態と評価」をまとめておられまして、「「平成の合併」について」の中では、「その中で、合併によるプラス効果として、「財政支出の削減」、「職員の能力向上」を挙げる一方、マイナス効果として、「行政と住民相互の連帯の弱まり」、「財政計画との乖離」、「周辺部の衰退」を挙げ、「市町村を合併に向かわせたのは、財政問題、国・府県の強力な指導」であり、国の合併推進策の問題点を指摘している。その上で、今後の市町村の課題として、地域共同社会の実現が必要であるとしている。」こういった記載がございます。
○宮本(岳)委員 全国町村会からも、国の合併推進策の問題点が指摘をされております。まさに大臣が昨日答弁された、制度に地域を合わせるというような面が批判をされているわけですね。
この平成の大合併について、我が党の塩川鉄也議員が昨年の当委員会で、またことし三月六日の予算委員会で、平成の大合併は失敗だったのではないか、こういう趣旨の質問をしたのに対して、石破大臣は、物事には何でも光と影がある、合併すなわち全てだめだということにはならない、合併しなければどうなっていただろうかということも考えなければならない、こういう旨の答弁をいたしました。
しかし、合併しなければどうなっていたかなどとのんきなことを言うわけですけれども、平成の大合併は、全国町村会が言うように、国の合併推進策によって現に強力に進められてきたわけですよ。そのときの理由もこの報告書にははっきり出ていますけれども、人口減少、少子高齢化等の社会経済情勢の変化や地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立を目的として進めるんだ、こう言われてきた。そして今、またこの地方創生ですけれども、相も変わらず、人口減少、少子高齢化等の社会経済情勢の変化というのが理由になっている。
まずは、この平成の大合併、潔く失敗をお認めになるべきではないでしょうか、大臣。
○石破国務大臣 それは、合併にもいろいろなスタイルがあったと思います。
例えば、私の、日本で一番ちっちゃな鳥取県を考えてみたときに、三つの町が合併したというパターン、あるいは一つの市と一つの町が合併したというパターン、あるいは一つの市に多くの町村が合併したというパターン、いろいろなものがありまして、これは、例えば、似たようなサイズの町、村が三つ合併したというようなところは、いろいろな影の部分というのが余り感じられません。しかしながら、大々的に合併をしてしまったというようなところは、かなり影の部分というのが出ております。ですから、平成の合併全てどうやらこうやらという論評はやや正確を欠く。大変失礼な言い方で申しわけありませんが。
どういう合併がよかったんだろうねというような考え方も私はあるべきだと思いますし、同時に、合併していろいろな影の部分ができました、あえて弊害と言ってもいいのかもしれません、では、それをもうとにかくこのまま朽ち果てるに任せるという話ではなくて、どうやってそれをカバーするやり方があるだろうかという議論もまたしていかねばならないし、委員の表現をかりれば、そんなのんきなことを言っていないでということだと思います。どういう手だてがあるんだということは、この地方創生の中でも議論をさせていただきたいと思っております。
私は、農林水産大臣当時に、地域マネジメント法人というものが必要なのではないだろうかと。それは例えばJAでありますとか、土地改良でありますとか、社会福祉協議会でありますとか、あるいは郵便局でありますとか、そういう残っているインフラというものがあるはずであって、それを地域再生の法人としてNPOも合わせて活用できないかという法案を書き始めたんですが、残念ながら政権交代がございまして、まだ実現するに至っておりません。
地域のいろいろな影の部分を救済するという形のいろいろな考えも、私は地方創生の大きなポイントだというふうに思っております。
○宮本(岳)委員 いや、そうおっしゃるわけですけれども、第二十七次地方制度調査会にいわゆる西尾私案というものを提出して、平成の大合併を先頭に立って進めてきた西尾勝第三十次地方制度調査会会長御自身が、ことし三月四日の参議院国の統治機構に関する調査会に参考人として出席されまして、我が党の倉林明子参議院議員に、三位一体の改革は、結果を見て唖然とするような、こんなはずではなかったといいますか、惨めなる結果に陥ったわけで、大失敗としか言いようがない、こうお話しになりました。
みずから進めた平成の大合併についても、もう少し昭和の合併の経験を踏まえて、編入合併される側の町村の小さな自治を大事にしていくという方策をもっとみんなが力を入れてやらなければいけなかったのではないだろうか、余りメリットのない結果に終わったんじゃないかと、これははっきり、国会に出てきて、議事録から私は今紹介したわけですから、こう語っておられます。
大臣、なるほど、これからどうするかという議論は大事なんですよ。しかし、そのためにも、今までの平成の大合併と三位一体の改革については、やはりまずかった、失敗だった、まあ西尾さんもこうおっしゃるわけですから、そういう認識がなければ前に進まない、今度失敗しない保証がない、こう思うんですが、いかがですか。
○石破国務大臣 それは、単独町で残ったところが、単独町だからもうだめなのさということではなくて、単独町で残ったところが、いろいろな困難な状況に直面しながらも、そこの町を維持するために一生懸命やっているという事例も日本国じゅうにございます。
そこはもう、今までのように地方交付税できちんと財政的な調整もなされ保障もなされる、そして公共事業もとり行われる、それが、公共事業は激減し、そして三位一体改革によって地方交付税が大幅に減額になったという事態に直面して初めて、何をしなければならないのかということをみずから考えるようになった、三位一体改革なり公共事業の削減なりというのは本当にひどいと思った、自分の町はどうなってしまうんだということを思った、でも、そこまで来なければ新しく自分たちの町を自分たちでつくり直そうという機運は生じなかったであろうと言っておられるところもありました。
私は別に開き直ってこの例が全て正しいとかそんなことを言っているわけでもありませんし、全部にそれが適用されるというわけではございませんが、私は、この地方創生の議論の中で、この委員会で主体的に扱うべきことかどうか、それは議会がお決めになることですが、地方交付税のあり方あるいは新型交付金のあり方ということを議論する際に、合併したところ、しないところがどのようになっていったか、それぞれの町が自分たちで自分たちの町をつくっていくという、委員が冒頭おっしゃいました、それぞれの地域の住民の方々が、自分たちが町の主権者であり、そしてまた町をつくっていくんだという意識を覚醒させるためにどのような財政措置や国の支援が必要かということもまた議論の対象として重要なことだと思います。
ですから、全部正しかったとか開き直るとか、そのようなつもりはございません。全て物事は成功だったはずはないのであって、失敗事例に学ぶということも私は大切なことだと思います。
○宮本(岳)委員 初めてそれでまちづくりを考えたという話でありますが、先ほどの住民投票だって、それでみんなが真剣に考えたわけですよ。
ただ、そういうところへ追い込まれないと考えないので追い込むのだという話はないのであって、やはりみんなでそれを、追い込むとかじゃなくて、まちづくりを考えていくということが基本だと思うんですね。
それで、失敗例を私は紹介したいと思います。
私は、今月の初めに、二〇〇五年七月一日に旧浜松市を中心に十二市町村が合併し、二〇〇七年四月には政令指定都市に移行した浜松市を視察してまいりました。
二〇〇二年、浜松市が、浜名湖を取り巻く四市六町に対し、環浜名湖政令指定都市構想を提唱したのをきっかけに、合併による政令市移行が目指されました。二〇〇三年九月、三市八町一村で法定協議会である天竜川・浜名湖地域合併協議会が設置され、二〇〇四年十二月、合併協定書に調印、十二市町村議会で合併関係議案を可決して、二〇〇五年四月には、南北約七十三キロ、東西に約五十二キロ、面積千五百十一平方キロメートルという大浜松市となりました。政令市としては日本最大の面積でありますけれども、このうち九百四十四平方キロメートルを占めるのが天竜区であります。一市三町一村、長野県の県境までを含む天竜区という広大な区が誕生することになりました。
私は、この天竜区にも入りまして、この目で現場を見てまいりました。合併、政令市移行時の都市ビジョンは、環境と共生するクラスター型政令指定都市、つまり、各地域をブドウの粒のように一つ一つしっかり残し、それが房となって新浜松市を形成するというものでありました。そのために、旧自治体ごとの役場が地域自治センターとなり、それぞれ旧自治体ごとに地方自治法上の地域自治区を設置して、それぞれに地域協議会を設置いたしました。
総務省に少し法的な関係をお伺いしますが、地方自治法二百二条の四に定める地域自治区というのはどのようなものですか。
○佐々木政府参考人 地域自治区でございますが、地方自治法の第二百二条の四第一項がございまして、そこで、「市町村は、市町村長の権限に属する事務を分掌させ、及び地域の住民の意見を反映させつつこれを処理させるため、条例で、その区域を分けて定める区域ごとに地域自治区を設けることができる。」とされているものでございます。
○宮本(岳)委員 合併協議会では、地域自治組織、組織内分権、一市多制度を掲げて、新市が目指す都市内分権を推進するには恒久的な制度の導入が必要だとして、設置期間の定めのない、今答弁のあった地方自治法上の地域自治区を設置いたしました。
出発点では、区役所や地域自治センターが区や地域自治区にかかわる予算要求を行う際には、区協議会または地域協議会で協議した上で予算要求するという浜松型予算編成の仕組みと言われるものまで創設する徹底ぶりだったわけであります。
ところが、この浜松市は二〇一三年に人口の社会減に陥ります。これは静岡全体の現象でもあり、県全体でも、静岡は北海道に次ぐ全国ワーストツーの社会減を記録しております。原因の一つは、これまで地域経済を支えてきたホンダやヤマハなど、輸送用機械や電機機械等の工場の閉鎖、撤退、縮小が相次いだこと、そして、もう一つは平成の大合併による影響ですね。
総務省に聞きますけれども、浜松市天竜区の旧水窪町、旧龍山村、旧佐久間町は、平成二十二年国勢調査における人口は平成十二年比でそれぞれ何%減少しておりますか。
○佐々木政府参考人 平成十二年と平成二十二年の国勢調査人口で比較いたしますと、旧水窪町におきましては三〇・七〇%の減少、旧龍山村におきましては二九・五三%の減少、旧佐久間町におきましては二四・二八%の減少となってございます。
○宮本(岳)委員 この十年間で軒並み三割前後の激減となっております。
私はこのうち、旧龍山村、旧佐久間町という二つの地域を訪れました。惨たんたる光景であります。地域の自治の担い手となるはずだった地域自治区や地域協議会は各区に集約され、各区役所は市の出先機関となりました。旧市町村単位に置かれた地域自治センターは、協働センターとして公民館的な役割になってしまっております。
旧龍山村では龍山郷土文化保存伝習施設という建物を、旧佐久間町ではさくま郷土遺産保存館という建物を見せてもらいましたが、鍵がかかり、廃止されておりました。これらの施設は廃止される以前はどういう役割を果たしていたか。郷土の文化遺産を保存し、子供たちや住民に伝承するという役割であります。
龍山郷土文化保存伝習施設には、村が農林業を中心に生活してきたこと、時代の流れとともに伝統的文化や歴史的産業文化財が失われようとしていること、こうした状況を踏まえ、龍山村に生まれ育った貴重な生活や産業文化を保存し、展示し、後世に残すために、そして脈々と続いた生活技術の伝承の場とするため、この施設がつくられたという、村長さんの書いた大きな看板が掲げられておりました。それが打ち捨てられている光景に本当に胸が痛みました。
大臣、なぜこんな状況になっていると思われますか。
○石破国務大臣 それは、合併する前は、そういうことがないようにということでいろいろな仕組みをつくったのだと思います。それが、浜松市は政令市ですから、天竜区というものができ、旧町村のところには多分支所みたいな形で、今までと遜色のない行政が行われるように、いろいろな効率化も図りながら、でも遜色ない行政が行われるようにというふうに企図されたのだと思いますが、実際に動かしてみると、今まで自分たちが選んだ村長さんや町長さん、あるいは議員の方々、そして、すぐ自分たちの身近なところにいる人々が職員となって働いていたのが、もう町長さんもいません、村長さんもいません、議員さんもいませんと。
そこの行政の出先にいる人たちはあくまで出先でしかなくて、これはさっきの大阪の話と非常に関係するようで、なかなか言い方は難しいのですが、出先でしかなくて、そこにおいていろいろなことを主体的に決めるに至らないというようなことで、そういう最初に企図したこととは異なるような、行政のいろいろな手だてというか、そういうのが行き届かないような状況が現出をしているのだろうというふうに思っております。
だとするならば、どういう形でそういうのをカバーしていくのかということをまた議論としてしなきゃいけなくて、平成の大合併は失敗であったので、あれをもとに戻すというような選択肢を私どもは持っておりません。もし仮にその住民の方々が希望されたとすれば、それなりの地方自治法の手続があろうかと思いますが、私どもとして、平成の大合併のいろいろな問題を所与のものとしながら、それをどうやって最初に企図したとおりにやっていくかということにも知恵を絞らねばならないことだと思います。
○宮本(岳)委員 私は、現場で実感した、学んだことがあるんですね。こういうふうになる決定的なきっかけとなったのは、やはり学校がなくなったことですよ。
要するに、伝習館というのは、子供たちが授業でここを訪れ、歴史や文化を学習し、伝承する場としてつくられました。そのときまでは、伝えようとして村長さんも看板まで書いた。しかし、肝心の子供がいなくなったんですよ。龍山村では、村内にあった幼稚園、小学校、中学校の全てが廃園、廃校となって、近隣のところへ統廃合された。子供がいなくなり、学校をなくしたときに、もはやその町には未来がなくなったというのがこの村の状況でありました。
私、時間が来ましたから、なかなか最後まで行きにくいんですが、この浜松市は、総務省の地方中枢都市圏構想の策定の場となった基礎自治体による行政サービス提供に関する研究会、ここが昨年一月に出した報告書でも、「先進的な都市における取組等」として取り上げられております。
この報告書、六ページの「一 浜松市の事例」の一つ目には何と書いてあるか。総務省、お答えいただけますか。
○佐々木政府参考人 総務省の基礎自治体による行政サービス提供に関する研究会が昨年一月に出しました報告書の六ページの「浜松市の事例」の一つ目のところに、「取り組み中の連携テーマの一つとして、公共施設の適正配置等の共同研究がある。今後、公共施設が一斉に更新時期を迎えることを考えると、市域を越えた公共施設の適正配置が重要な課題である。特に小規模な市町村があらゆる種類の公共施設を維持するのは負担が大きい。市町村間での施設の相互利用の検討も重要である。」こういった記載がございます。
○宮本(岳)委員 やはりこういう議論の上に立って、小規模な市町村があらゆる種類の公共施設を、学校も含めて維持するのは負担が大きいと。とにかく集約化、集中化していくということで、学校までも、未来までも奪われてきたといういきさつがあると思うんですね。
ですから、私は、政府が今進める連携中枢都市圏というもの、あるいは今あなた方が進めようとしているこの進め方というのは、現場へ行くとこういう現状を生んできている。ですから、やはりしっかり、それぞれの村や町に住んでいる人たちをどう支え、その力をよみがえらせていくかということを、その町に即して考えることこそ必要だと思うんです。
残された問いはまた次回にやらせていただきますが、最後に大臣の御所見を伺って、きょうは終わりたいと思います。
○石破国務大臣 私の選挙区の鳥取市というのは、周りの町村をほとんど合併して大鳥取市になって、政令市ではありませんが、人口二十万というふうにいったわけでございます、サイズがちっちゃくて恐縮ですが。そこにおいて、村もなくなりました、村長さんもいなくなりました、村会議員さんもいなくなりましたというところ、私自身、多分、委員と同じような経験を持っております。ですから、それをどうしたらいいのだろうかということについて、いろいろな方法論があるのだろうと思っております。
ですので、そこへもう一回にぎわいを取り戻したい、どうすればいいだろうかという方策について、私自身、自分が三十年前に最初にそこを一軒残らず歩いたときのそういう村がなくなっている、人がいなくなっている。それは本当に、胸が締めつけられるというのか泣きたくなるというのか、それを何とかしたいという思いがございます。
ですので、方法論についていろいろなやり方を御提示いただいて、私どもも足らざるを学ばせていただきたいと思います。
○宮本(岳)委員 ありがとうございました。
終わります。