「多数者の権利」の名で性的少数者の人権狭める
自公維国案を可決
「LGBT理解増進法案」 共産党は反対 衆院内閣委
9日の衆院内閣委員会で、「LGBT理解増進法案」をめぐり、修正与党案が自民、公明、維新、国民などの賛成多数で可決しました。共産、立民は反対。共産、立民、社民が共同提出した2021年の超党派のLGBT議連合意案は反対多数で否決されました。同法案をめぐり、自公案、立共案、維国案の3案が提出されていましたが、8日夜、突然、自公が維国案をほぼ丸のみした4党修正案の概要が示されました。(討論要旨)
日本共産党の塩川鉄也議員は質疑で、4党修正案の最大の問題は、「全ての国民が安心して生活できる」という文言を用いて「多数者の権利擁護」のための留意事項を創設していることだと指摘。「多数派の権利擁護も必要」との発想は「『多数派が認める範囲』でしか性的マイノリティーの人権・尊厳は認められないとのメッセージになりかねない。LGBTの理解増進に逆行するものだ」とただしました。自民党の新藤義孝議員は「留意事項であり義務ではない。心配されないよう運用する」と述べるにとどまりました。
また、トランスジェンダー(出生時に割り当てられた性別と異なる性を自認する人)が女性トイレなどの「安全」を脅かす存在になるという誤った言説について、答弁に立った日本共産党の宮本岳志議員は「性の多様性を認め合い、誰もが『個人の尊厳』を尊重される社会をつくることが求められる」と述べました。
(しんぶん赤旗 2023年6月10日)
議事録(宮本答弁部分)
塩川委員質疑
○塩川委員 マイナンバーのように、自治体に次から次へと余計な仕事を押しつけているような国ですから、そういう点での重大な懸念というのは当然浮かぶわけで、理念法だから事態が変わるものではないといったら、じゃ、何のための法案なんだという話でもあります。
そういう点でも、この後聞きますけれども、修正案においては、この部分について、「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意する」、その文言も変えた上で、国の指針を作成するということが挙げられているわけですから、そういう点では、国が方向づけをするということに当然なってくるわけで、この問題というのは看過することができないということを申し上げておきます。
次に、立憲、共産案の提出者の宮本岳志議員にお尋ねをいたします。
この間、トランスジェンダーは女性トイレや女風呂などの安全を脅かす存在だという主張がありますが、この点についてどのようにお考えか、宮本議員の見解を伺いたいと思います。
○宮本(岳)議員 御質問ありがとうございます。
私、立民、共産提出者としてこの場におりますけれども、あえて私の見解をということでございますので、答弁を申し上げたいと思います。
一部に、体は男性だが心は女性と自称する人が女性トイレや浴場に入るおそれがある、そのためにも性自認という言葉は使わないとの主張があることは承知をしております。これは、極論を言うことで差別と偏見をあおる暴言であり、個人の尊厳と運動や世論を敵視するものだと考えます。トランスジェンダー、体の性別と自分の認識する性別に違和がある人、そういう方々の排除をあおる主張は決して許してはならないと考えます。
また、この法律ができると女性の安全が脅かされるのではないかといった不安の声も出されております。そもそも、今回の理解増進法案は、三案とも、女性専用スペースや男女別施設の利用基準やルールを変更するものではありません。先ほどから三案とも全ての答弁者は繰り返しております。
安全と安心は全ての性の視点で保障されなければなりません。女性の人権、安全を守ることと、トランスジェンダーの方々の人権、安全を守ることは、決して対立するものではありません。
トランスジェンダーの方たちの現実の苦悩を軽視せず、排除することなく、性の多様性を認め合い、誰もが個人の尊厳を尊重される社会をつくることが求められております。その一歩として、私ども立共案、議連合意案の成立が必要であると考えております。
○塩川委員 引き続き、立憲、共産案の提出者にお尋ねいたします。
自民、公明案、維新、国民案においては、学校設置者の努力として独立させていた議連合意案の条文を削除し、事業主等の努力の条文に落とし込み、格下げするような形にしております。この点についての評価をお答えいただきたいと思います。
○宮本(岳)議員 ありがとうございます。
私、二年前の議論から加わっておりますけれども、本法案の基になった二年前の超党派議連合意案では、特に、子供たちの間での差別やいじめをなくす努力がひときわ大切であることから、議論を重ねた結果、学校設置者の努力として独立した条文とすることで合意したわけであります。
これが、自民、公明案及び維新、国民案では、事業者の努力と同一の条に規定し、見出しからも削除されておりまして、学校設置者の努力を軽視する意図を有するものであり、我々立共案の提出者としては、適切ではない、こう考えております。
ありがとうございました。
緒方委員質疑
○緒方委員 私から、一問だけ、全政党の方にお伺いをしたいと思います、六政党。
今回の法律というのは、性自認という人の内心の最も深いところに関わるものであって、そういう法律で、しかも、用語は基本的に同じものを使って、同じ意味である。そして、私は、議論を聞いていても、では法案の相違が解消できなかったのかというと、そうでもないだろうというふうに思うんですね。
そういう中、この法案が対立法案っぽくなっていることというのは、当事者の方に対して私は失礼だと思うんですよね。反省の念を求めたいと思います。まず新藤さんから。
○新藤委員 私は、この法案が対立法案だと思っておりません。
そもそも、この法案の様々な規定におきましては、それは私ども自民党が作らせていただいたものが九九%です。そして、文言や最後の修正部分について、それは、立憲さんも実は、立憲案というのも、その中身は全て自民党が提案したものでございます。維国案についても同じです。
ただ、この法案の安定性、それから、やはりいろいろな懸念の声があることについて表現の差が出てきている。だから、ここの委員会できちんとそれを審議しようじゃないかと。むしろ、何か取りまとめるのではなくて、審議をした方がいいと私は思ったわけであります。
そして、この法案は、先ほどの共産党の話は、常にそういうふうにすり替わっていくので、ここは言わなきゃいけないんですけれども、実定法ではないのに、あたかもこの法案で何かを決めていくんだ、そこに、少数者が削られるじゃないかというふうに、前提をすり替えていってしまうのはとてもよくないことだと私は思っておりますので、そこを是非、御理解を皆さんにしていただくためにも、丁寧な質疑が必要だと私は思っているわけです。
○西村(智)議員 今回の法案審議で当事者の皆さんが激しく分断されているのではないかということを考えましたときに、私は、もっと別の道があったのではないかと、法案の提出者としても深く反省をしているところです。
遡れば、二年前に超党派の議員連盟で全党が合意して法案がまとまりました。ですけれども、これは自民党の中のごたごたで提出することができませんでした。あのときに提出できていれば、ここまでこの分断は大きくはならなかったのではないかというふうに思います。
それをこういったような形で、修正案を昨日の夜、ちょちょっとまとめて提出され、私たちには何の話もなく、本来であれば、自民党さんが修正案を出したのであれば、議連にもう一回戻していただいて、そこで議論するのが筋だったと思っております。
そういったことも含めて、非常に残念な経緯をたどってしまったというふうに思っております。
○岩谷議員 おっしゃるとおり、対立するような法案ではないはずです。各党が出されている案も、大部分は一緒なわけです。ところが、性同一性とか性自認という文言で対立をしていたわけです。
ですから、我々は、ジェンダーアイデンティティーという言葉を提案させていただいた。そして、それに対し、自民党、公明党さんが修正案として受け入れてくださったというふうに思いますので、これは、私は是非多くの党の皆さんに御理解をいただいて賛成をしていただきたいというふうに思います。
○國重委員 先ほどの答弁の中でも言いましたけれども、多様な性の在り方、これについて相互理解を進めて、多様性が尊重される社会を実現していく、そのために各党が協力をして法律を作っていくというのは、私は政治としての極めて重要な責務であると思っております。
こういった観点に立ちまして、私ども公明党、今、各党ということで言われていますので、公明党としても、できる限り幅広い合意形成をして法律の成立を目指すという大局的な見地に立って取り組んでいかねばならないという思いで、今回の修正協議、これで修正案に作らせていただきました。
また、様々な各党の思いはあると思いますけれども、今後の質疑、また参議院での質疑も含めて、できる限り多くの各党の御理解、また、不安を払拭できるような法案にしていきたいと思っております。
○大西委員長 答弁者の皆さんに申し上げます。
約束の時間が経過しておりますので、御協力をお願いいたします。
○浅野議員 今回の法案は、対立すべき法案ではなく、しっかりと真摯な環境の中で熟議を尽くされるべきものであると考えております。
国民民主党としても、この間、委員会の場に限らず、他党と真摯な協議を続けてまいりましたし、また、今後の当委員会においても、そのような冷静な議論、熟議が重ね続けられていくことを望んでおります。
○宮本(岳)議員 立民の西村さんがおっしゃったとおり、二年前には私たちは性自認という用語で一致したわけなんですね。それをその後、様々な形で言い換えた。同じ意味だという説明なんですけれども、言い換えることによって、やはり、では性自認ではなぜ駄目なのかというまた意味合いが出てきてしまう。そういう意味で、私は、この間のいきさつによって、性自認という言葉は随分弄ばれたというふうに思っております。