平成二十六年十月二十九日(水曜日)
午前九時五十分開議
出席委員
委員長 鳩山 邦夫君
理事 後藤 茂之君 理事 新藤 義孝君
理事 土屋 正忠君 理事 寺田 稔君
理事 宮腰 光寛君 理事 義家 弘介君
理事 渡辺 周君 理事 重徳 和彦君
理事 石田 祝稔君
伊藤 忠彦君 伊藤 達也君
池田 道孝君 石川 昭政君
岩田 和親君 小田原 潔君
加藤 寛治君 金子万寿夫君
金子 恵美君 河村 建夫君
今野 智博君 坂井 学君
白石 徹君 白須賀貴樹君
鈴木 淳司君 瀬戸 隆一君
高木 宏壽君 とかしきなおみ君
中谷 真一君 中山 展宏君
橋本 英教君 林田 彪君
福井 照君 三ッ林裕巳君
宮川 典子君 宮崎 謙介君
小川 淳也君 後藤 祐一君
近藤 洋介君 階 猛君
篠原 孝君 今井 雅人君
小熊 慎司君 坂本祐之輔君
村岡 敏英君 稲津 久君
濱村 進君 中丸 啓君
佐藤 正夫君 高橋千鶴子君
宮本 岳志君 鈴木 克昌君
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財務大臣
国務大臣
(金融担当) 麻生 太郎君
総務大臣 高市 早苗君
文部科学大臣 下村 博文君
厚生労働大臣 塩崎 恭久君
農林水産大臣 西川 公也君
経済産業大臣 宮沢 洋一君
国土交通大臣 太田 昭宏君
防衛大臣 江渡 聡徳君
国務大臣
(少子化対策担当) 有村 治子君
国務大臣
(経済財政政策担当) 甘利 明君
国務大臣
(地方創生担当) 石破 茂君
内閣府副大臣 平 将明君
文部科学副大臣 丹羽 秀樹君
厚生労働副大臣 永岡 桂子君
経済産業副大臣 山際大志郎君
国土交通副大臣 北川イッセイ君
環境副大臣 北村 茂男君
内閣府大臣政務官
兼復興大臣政務官 小泉進次郎君
政府参考人
(内閣官房地域活性化統合事務局長) 内田 要君
政府参考人
(内閣官房地域活性化統合事務局次長) 麦島 健志君
政府参考人
(内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局長代理) 山崎 史郎君
政府参考人
(内閣府地域経済活性化支援機構担当室長) 小野 尚君
政府参考人
(内閣府地方分権改革推進室次長) 満田 誉君
政府参考人
(内閣府民間資金等活用事業推進室長) 持永 秀毅君
政府参考人
(総務省自治財政局長) 佐藤 文俊君
政府参考人
(総務省自治税務局長) 平嶋 彰英君
政府参考人
(厚生労働省医政局長) 二川 一男君
政府参考人
(厚生労働省職業安定局次長) 勝田 智明君
政府参考人
(農林水産省大臣官房審議官) 豊田 育郎君
政府参考人
(経済産業省大臣官房地域経済産業審議官) 井上 宏司君
政府参考人
(経済産業省大臣官房審議官) 吉野 恭司君
政府参考人
(資源エネルギー庁廃炉・汚染水特別対策監) 糟谷 敏秀君
政府参考人
(国土交通省国土政策局長) 本東 信君
政府参考人
(環境省地球環境局長) 梶原 成元君
衆議院調査局地方創生に関する特別調査室長 畠山 裕子君
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委員の異動
十月二十日
辞任 補欠選任
畑 浩治君 鈴木 克昌君
同日
辞任 補欠選任
鈴木 克昌君 畑 浩治君
同月二十二日
辞任 補欠選任
畑 浩治君 小宮山泰子君
同日
辞任 補欠選任
小宮山泰子君 畑 浩治君
同月二十九日
辞任 補欠選任
金子 恵美君 白須賀貴樹君
木原 稔君 中谷 真一君
坂井 学君 今野 智博君
鈴木 俊一君 橋本 英教君
宮川 典子君 小田原 潔君
篠原 孝君 階 猛君
小熊 慎司君 今井 雅人君
村岡 敏英君 坂本祐之輔君
宮本 岳志君 高橋千鶴子君
畑 浩治君 鈴木 克昌君
同日
辞任 補欠選任
小田原 潔君 宮川 典子君
今野 智博君 中山 展宏君
白須賀貴樹君 宮崎 謙介君
中谷 真一君 林田 彪君
橋本 英教君 鈴木 俊一君
階 猛君 篠原 孝君
今井 雅人君 小熊 慎司君
坂本祐之輔君 村岡 敏英君
高橋千鶴子君 宮本 岳志君
鈴木 克昌君 畑 浩治君
同日
辞任 補欠選任
中山 展宏君 白石 徹君
林田 彪君 岩田 和親君
宮崎 謙介君 金子 恵美君
同日
辞任 補欠選任
岩田 和親君 池田 道孝君
白石 徹君 坂井 学君
同日
辞任 補欠選任
池田 道孝君 三ッ林裕巳君
同日
辞任 補欠選任
三ッ林裕巳君 木原 稔君
同日
理事宮腰光寛君同日理事辞任につき、その補欠として寺田稔君が理事に当選した。
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本日の会議に付した案件
理事の辞任及び補欠選任
政府参考人出頭要求に関する件
参考人出頭要求に関する件
まち・ひと・しごと創生法案(内閣提出第一号)
地域再生法の一部を改正する法律案(内閣提出第二号)
派遣委員からの報告聴取
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○鳩山座長 次に、宮本岳志君。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。
四人の陳述人の方々のお話は本当に勉強になりました。
それで、今回この法案が出されてきた背景というのは、やはり、地方が疲弊している、あるいは人口減少が極めて深刻だ、その事実はお互いに共有できると思うんです。ただ、そういった問題は勝手に自然現象のように起こってきたのか、では、これまでの施策がどうだったのか、やはりそういうことをきちっと一つ一つ検証しないと、どこが間違って、さっき何もしない方がいいんじゃないかという話が出ていましたが、何もしなかったわけじゃなくて、いろいろしてきた結果がこうなっているわけですから。
飯泉知事は、平成十年ごろ郵政省におられたということですが、私ちょうど、一九九八年に参議院議員に大阪から当選をして、最初に担当したのが多分郵政だったと思います。その後、総務委員会なんかも担当しましたから、この間、地方に関してはさまざまなことを議論し、やってきたわけですよ。例えば、平成の大合併というのも随分やったわけですね。そういったものが、では、一体どういう結果になったのかということをやはりしっかり検証しなきゃならないと思うんですね。
これはちょっと知事にお伺いしたいんですけれども、徳島の場合、平成の大合併というのは、どういう形でやられて、結果としてどんなふうな御感想をお持ちですか。
○飯泉嘉門君 徳島県では、平成の大合併が始まるまでは四市を初めとする五十市町村だったんですね。これが、平成の合併とともに、八市を筆頭とする二十四市町村に再編をされました。もちろん、合併をしたところ、しないところ、あったわけでありますが、まず、合併をしたところの状況についてです。
ここらについては、確かに、人口一万を割ってくる、もっと言うと、実は、五千を割ると交付税上大変厳しいことになってくるんですね。そうした意味で、何とか人口一万を目指していこうという形がまずあった。これに対して、やゆをすると、貧すれば鈍する合併、このようにも言われたわけなんです。しかし、そうでもしないとその地域が生き残れないというのが当時の日本全体の状況であったかと思います。
しかし、当時危惧をされていた周辺地域、当然、新しい市町村ができ上がった場合には、中核部分と周辺部分ができるんですね。その周辺部分が想定以上に疲弊をしてしまった。人がだんだん中心部分へ移ってしまうということになるんですね。この点については、少し厳しい状況であったのではないか。
そして、ちょうど合併十周年になりますと、その後いきなり合併特例算定がなくなることとなります。こうなると大変なことになるということで、今、その制度の改正を国の方でも行っていただくよう、我々地方六団体でも強く言っているところであります。
では、逆に合併をしなかったところはどうなのか。ここについても、人口の少ないところは確かに厳しい面はあるわけでありますが、しかし、それはそれなりに頑張っていけた。それはなぜかというと、合併をしなかったということが、どちらかというと十字架のようになるわけなんですね。もしうまくいかなかったら、合併をしなかったからではないかと。こういった点でまた頑張りを見せたということがあります。
そうした意味では、これから、合併をしたところと合併をせずに残ったところが、それぞれの形で切磋琢磨をしていく、また、そうしたものに対しての提言を国の方でしっかりと聞いていただいて、それぞれがしっかり頑張れる体制をぜひ制度としてつくっていただきたいと思っています。
○宮本委員 ありがとうございます。
生き残れないという問題意識でそういうことがやられた、確かにそうだったと思います。
今またこの議論が、前出の増田レポートに出てくる、このままだともう生き残れないと。絶えず何か、生き残れない、もうこのままではだめだ、そういうことを言われて、だから、座して死を待つよりは言うことを聞け、こういうやり方が本当にどうだったのかということをすごく考えるわけです。
それで、先ほど横石社長の方も、やはり、田舎におねだりのような体質があるとおっしゃる。確かに事実かもしれません。別に間違ったことをおっしゃっているとは思わないんですけれども、では、そういう体質がなぜできてしまったのか。
例えば、農業でも、もともとは、日本の農業というのは決してそんなに水準が低いわけではない、農家というのは別にそんなに経済的に貧困という状況じゃなかったけれども、この間、本当に農業というのは、輸入の自由化だとか、今またTPPという議論はありますけれども、なかなかそのままでやっていけないような状況に国の施策として追い込まれてきた面があると思うんですね。そのかわりに、さまざまな補助金で手当てするから、とにかく我慢してくれということでやってきた。
だから、それは何ももともとねだろうと思ったわけじゃないけれども、そういうことをずっと長年続けてきたということがあって、そういう体質がやはり生まれてしまっているという面もあると思うんですよ。
ですから、これから本当に地方ということを考えたときに、今までやってきたことがどうだったのかということをしっかり考えるとともに、もうこれ以上そういうものを壊していくようなことはやはりやるべきでないと思うんですね。
そこで、端的に、今うまくいっておられる大南さんと横石さんにお伺いするんですけれども、全国的な政治の責任としては、この間消費税を上げて、物の売れ行きは全体としてはやはりなかなかきついんですね。この先また、このままだと上げるという話もあるわけですよ。それから、今お話があったように、農業でいうと、これからTPPという議論があって、いろいろ地方は頑張ってくれているんですけれども、大きな農業としては、やはりなかなか大変な状況になるということがあると思うんですね。
そういう方向をとっていったときに、皆さん方がそうやってすごく頑張ってくれていることが、日本全体の政策との関係で、本当に大丈夫なのかというのをすごく僕は感じるんですけれども、それぞれ、消費税の影響、TPPについてどういうふうにお感じになるか、お聞かせいただけますか。
○大南信也君 非常にお答えするのも難しい問題かなと思います。
先ほども申し上げたように、とにかく、消費税が上がろうがTPPがどうなろうが、少なくとも地域に住んでおる住民の生活は続くということだと思います。だから、もう自分らでとにかく最善のことをやっていくというのが今の形ではないかなと思います。
答えになっていないかもしれませんが、失礼しました。
○横石知二君 上勝町の人は、消費税が上がることとかTPP問題がどうなるかということには、多分ほとんど関心を持っていないと思います。
これはどうしてかというと、さっきのコンピューターの話と同じであって、地域に住んでいる人は、国の大局的な話より、まず自分の目の前のことが一番なんですね。自分との距離感。
だから、皆さんから見ると、消費税が上がって、地方で、ガソリンを、あんな、たった一回のためにずらっと並ぶということは信じられないことだと思います。でも、その人にとったら、一回分でも、上がるんだったら入れておこうかというのが現実だと思います。
だから、私は、町づくり講演会をしても地域おこし大会をしても、役を持った人しか来ないのはなぜだろうかということをよく言います。それは、自分がそこに行って、自分の立場が、役割が、見えないからです。町おこしというのはすごく抽象的なことであって、もっと現場に物すごく近い、何が町おこしなのか、何を課題としてやらなければいけないか。
おばあちゃんがタブレットを使うのは、押したら自分のことになるからです。だから押すんです。大きな、大局的なことも大事なんですけれども、もっと現場サイドの感覚をどうつくるかということを、一つ一つ、小さな、コンパクトの中で数をいくということが、私は日本の中で非常に大事なことではないかなと思います。
北海道のTPP問題と上勝町のTPP問題は全く同じにはなりません。だから、農林省がTPP問題だということを言っても、本当に小さな、こんな何畝、何アールしかない田んぼをつくっている人に米がどうなるよと言うことより、この何畝しかない田んぼでどうやったら所得が上げられるかということを考える方が、すごく大事なことだと私は思っています。
○宮本委員 ありがとうございます。
山口さんにもお伺いしたいんです。
介護の制度というものも、これからさまざまな議論、国の制度が変われば、幾ら地方で独自に頑張っても、国の制度に合わせて変えなきゃならなくなりますね。その点では、私たち、介護保険の制度は、これまでもさまざま、やはり、現場で事業をされている方々にとってはぐあいの悪い状況に改悪されてきたというふうに感じているわけですし、この先もなかなか十分なことをする方向になっていないように思うんですけれども、どうぞ、御感想をお聞かせいただけましたら。
○山口浩志君 大変難しい問題ではあるんですが、今は、医療・介護連携という言葉がありますように、介護の問題は、決して介護だけ、福祉の分野だけの問題でなくて、やはり医療の問題にもなってきますし、医療の問題イコール介護、介護の問題イコール医療である。
病院の診療報酬改定があった中で、今大きく医療の姿形も変わろうとしていて、病院から在宅へということで進んでいるんですけれども、果たして在宅で医療の充実が実現できるのだろうか、家族負担がますますふえるのではないかという問題もありますし、また、介護の分野で、介護に夢を持って、資格を持って福祉の世界に入った人たちが、こんな人は、私は無理だというふうにならないかとか、そういうこともあります。
その辺の、一体となった連携、ネットワーク、それから学習会、研修、いろいろそういう新しいこれからの介護・医療連携の仕組みづくりがますます、それも地域地域でやっていかなければいけないことかなと思っております。
○宮本委員 ありがとうございます。
知事、もちろん、横石さんのように本当に小さい場所で頑張っていて、国の大きな全体状況にほとんど影響されない、そういうところもあると思うんです。しかし、徳島県全体でいうと、そういうTPPであるとかというのは、やはり影響を与える。それから、消費税だって、上がれば徳島県全体のやはり中小商工業に影響を与える。
それぞれ特色を持って、どういうことがあろうとも頑張ろうといって頑張ってくださっていることはとうといし、それはもちろん大事なことでありますけれども、だからといって、全部が全部それで、どんなことがあろうともうちの自治体は全部やっていける、こうはなかなかなり切れないのは事実だと思うんですね。
国の財政保障という点で見ても、この間、地方交付税が、いわばもともと財政調整と財政保障という二つの機能をきちっと果たさなきゃならないものが、なかなかそうはなり切れてこなかった。調整の方はやるんだけれども、保障の方がやはりどんどん、その中で右往左往してきたという面があるわけですよ。
そういう点で、知事、今国がやるべきことというのはどこにあるのかということを、ひとつお聞かせ願えませんか。
○飯泉嘉門君 今、宮本委員がおっしゃられたように、実はその中にお答えがあるんですね。
つまり、地方と一言で言われましても、例えば徳島県でも、徳島県があって、二十四の市町村があります。しかも、合併をしたところは、旧市町村がまたそれぞれ息づいているところがありますので、やはりそれぞれの特色があります。その特色を、しっかりと磨きをかけて、そして、ワンステップ上がりたいんだ、向上したいんだ、そう思えるような制度改正。
制度改正については、やはりこれは国のお力添えがないとできない話でありますし、法律をということであれば、国会の先生方の御協力がないとできないところでありますので、先ほど申し上げたように、地方に人が戻れるような、若い人たちもあるいは壮年期も、そして高齢者も、そういった形での大胆な一国二制度。
我々は、決してお金だけをくれと言っているわけでは全然ないんですね。人が地方に流れる、そして最終的には、その地方からまた東京で再チャレンジもできるんだ、こうしたいい循環がつくれるような大胆な制度改革をお願いしたいと思います。
○宮本委員 ありがとうございます。
私、実は国会では、今度は文部科学委員会というものをやっているんです。それで、大学の方も、今実は、ミッションの再定義というようなことが文科省から言われまして、どういう役割をその地域地域で果たすかということが非常に議論になっているわけです。
まず、大学との連携なんですけれども、徳島大学に限りません、私学もあるんでしょう。大学との連携でどういうことをされているかということをひとつ、大南さん、横石さん、それぞれお聞かせいただけますか。
○大南信也君 僕らの方はNPOからスタートしたので、普通、大学と町が連携するという場合には、首長さんと学長が何か協定書を結んでみたいな形が多いんですけれども、うちの方は、一番最初から、ゼミ単位、ゼミとグリーンバレーの間でずっとやってきました。
結果的に、大学側がインターンシップをやりたいから送らせてくれというような形で、だんだん下から成長していって、今度、武蔵野美術大学とグリーンバレーが連携するというような形に成長させていったというところで、結局、今までやってきたこと全てが形から入っていないということではないかなと思います。
だから、最初から紡いで、結果的に最後は連携ができ上がったというような形で、割と自然な形で動いてきておるのかなと思います。
以上です。
○横石知二君 大学との連携は非常に活発にやっております。
まず一つは、徳島大学上勝学舎というのがあって、徳島大学が上勝に学舎を持っています。
それから、先ほど言いましたように、一年間で大体二百名以上のインターンをうちの会社で受け入れます。ほとんど大学生が多いんですけれども、地元の四国大学では一年生からインターンをさせるということで、大学に入ったすぐから現場を経験させるというふうなこともやっています。
それから、全国の大学が、インターンを上勝町と一緒に、いろどりでやりたいという希望が非常に多いので、積極的に大学生を受け入れて、高齢者の知識や経験を学ばせる現場経験として仕組みをつくって運営しております。
○宮本委員 ありがとうございました。