平成二十六年十月二十九日(水曜日)
午前十時開議
出席委員
委員長 西川 京子君
理事 櫻田 義孝君 理事 冨岡 勉君
理事 萩生田光一君 理事 福井 照君
理事 義家 弘介君 理事 中川 正春君
理事 鈴木 望君 理事 浮島 智子君
青山 周平君 秋本 真利君
井上 貴博君 池田 佳隆君
石原 宏高君 大串 正樹君
神山 佐市君 菅野さちこ君
木内 均君 黄川田仁志君
工藤 彰三君 小林 茂樹君
桜井 宏君 新開 裕司君
末吉 光徳君 田中 英之君
田畑 毅君 武井 俊輔君
中川 俊直君 中谷 真一君
野中 厚君 橋本 英教君
馳 浩君 三ッ林裕巳君
宮内 秀樹君 宮川 典子君
山本ともひろ君 菊田真紀子君
松本 剛明君 笠 浩史君
井出 庸生君 遠藤 敬君
椎木 保君 中野 洋昌君
田沼 隆志君 中山 成彬君
柏倉 祐司君 宮本 岳志君
青木 愛君 吉川 元君
山口 壯君
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文部科学大臣 下村 博文君
財務副大臣 御法川信英君
文部科学大臣政務官 山本ともひろ君
政府参考人
(内閣府大臣官房少子化・青少年対策審議官) 中島 誠君
政府参考人
(総務省情報通信国際戦略局長) 鈴木 茂樹君
政府参考人
(文部科学省大臣官房文教施設企画部長) 関 靖直君
政府参考人
(文部科学省生涯学習政策局長) 河村 潤子君
政府参考人
(文部科学省初等中等教育局長) 小松親次郎君
政府参考人
(文部科学省高等教育局長) 吉田 大輔君
政府参考人
(文部科学省科学技術・学術政策局長) 川上 伸昭君
政府参考人
(文部科学省研究開発局長) 田中 敏君
政府参考人
(文化庁次長) 有松 育子君
政府参考人
(国土交通省大臣官房審議官) 舟引 敏明君
参考人
(東京電力株式会社常務執行役) 木村 公一君
文部科学委員会専門員 行平 克也君
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委員の異動
十月二十九日
辞任 補欠選任
木原 稔君 田中 英之君
熊田 裕通君 橋本 英教君
桜井 宏君 黄川田仁志君
比嘉奈津美君 井上 貴博君
遠藤 敬君 井出 庸生君
同日
辞任 補欠選任
井上 貴博君 武井 俊輔君
黄川田仁志君 桜井 宏君
田中 英之君 中川 俊直君
橋本 英教君 大串 正樹君
井出 庸生君 遠藤 敬君
同日
辞任 補欠選任
大串 正樹君 三ッ林裕巳君
武井 俊輔君 末吉 光徳君
中川 俊直君 田畑 毅君
同日
辞任 補欠選任
末吉 光徳君 比嘉奈津美君
田畑 毅君 木原 稔君
三ッ林裕巳君 中谷 真一君
同日
辞任 補欠選任
中谷 真一君 秋本 真利君
同日
辞任 補欠選任
秋本 真利君 熊田 裕通君
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本日の会議に付した案件
政府参考人出頭要求に関する件
参考人出頭要求に関する件
文部科学行政の基本施策に関する件
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○西川委員長 次に、宮本岳志君。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。
まず冒頭、大臣にお伺いをいたします。
財務省は二十七日の財政審の財政制度分科会において、文教予算の削減を進めることを表明いたしました。午前中も議論がありましたけれども、とりわけ問題なのは、やっと三十五人学級が実現した小学校一年生の学級編制基準を、明確な効果が認められないなどと決めつけて、何と、四十人学級に戻して教員を減らし、八十六億円の金を浮かせと主張していることであります。
小学校一年生の三十五人学級は当委員会で全会一致で制度化されたものでありまして、一九八〇年以来、実に三十一年ぶりに学級編制基準を引き下げるものでございました。しかも、この法律の附則には、「政府は、この法律の施行後、」「公立の小学校の第二学年から第六学年まで及び中学校に係る学級編制の標準を順次に改定することその他の措置を講ずることについて検討を行い、その結果に基づいて法制上の措置その他の必要な措置を講ずるものとする。」こういう附則がございまして、三十五人学級は、小学校一年生にとどまらず、小学校二年生以上、中学校にまで順次改定していくことが想定されていたわけであります。
こんな、財務省のような時代逆行、論外な主張が政府内から公然と出されること自体が大問題だと私は思いますけれども、大臣、このような主張は到底認められないと私は思いますが、大臣の御所見をお伺いいたします。
○下村国務大臣 おっしゃるとおりであります。
学校を取り巻く環境が複雑化、困難化し、教員に求められる役割も拡大する中、教員が授業など子供への指導により専念できる環境をつくるべきときに四十人学級に戻すとの主張は、文部科学省の考え方や学校現場、保護者の声とは相入れないものであり、到底認められません。
全国的に定着した小学校一年生の三十五人以下学級については、子供たち一人一人に目が行き届くきめ細やかな指導や、思考を深める授業づくりが一層可能となる、教員と児童との関係が緊密化するとともに家庭との緊密な連携が可能となるといった調査結果から、子供たちの学習意欲の向上やきめ細やかな指導による学力の向上にとって効果あるものと考えておりまして、少人数学級の推進は望ましいと考えております。
一方、授業の質向上に対する多様な取り組みや極めて厳しい財政状況等を総合的に勘案し、自治体の創意工夫を踏まえつつ、柔軟で効果的な定数改善を早急に進めていくことも必要であります。
これら全体を踏まえ、ことし八月に策定した教職員定数改善計画におきまして、アクティブラーニングの推進によって、義務標準法の改正により基礎定数の拡充を図ることとしており、その実施に当たっては、少人数学級、チームティーチング、習熟度別指導など、学校の実情を踏まえ、自治体の創意工夫により、少人数教育を柔軟に行えるものとしております。
文科省としては、計画的な指導体制の整備を図ることができるよう、各方面の理解を得つつ、財政当局と折衝し、教職員定数改善計画の実現に向け最大限の努力をしてまいります。
○宮本委員 この問題は日を改めてまた大臣と議論したいと思うんですが、この財務省主計局の主張を見ていると、少人数学級だけではありません。加配を削れ、統廃合して教員を減らせ、人材確保法に基づく教員給与の優遇をやめよ、人数を減らして金を動かせと言いたい放題なんです。こんなものがまかり通ったら、前回大臣とやりとりしたまさに二〇二〇年のビジョンなんというものは、それこそ影も形もなくなってしまうと言わなければなりません。
この財務省の言い分に、一つ一つ論と事実をもって打ち返すということが大事だということをきょうは強調しておきたいと思います。
さて、きょうは、この間進められてきた奈良県の平城宮跡の整備についてお伺いをいたします。
平城宮は、千三百年前、七一〇年から七八四年、長岡京に遷都するまでの七十四年間、難波宮などに遷都された一時期を除いて、我が国の政治、文化の中心として栄えた都であります。平城宮跡の特徴は、造営当時の建造物は現地では何一つ現存しておらず、当時の痕跡は地下において遺構や遺物として残り、今日に至っているというところにあります。
特に、木片に墨書きされた木簡は、役人たちの事務処理や諸国からの税の荷札などに使われ、古代社会を解明する、実に大切な第一次史料として重要だということであります。木簡は地下水によって保護されておりまして、千年以上の年月を経て今日に至っております。平城宮跡を保護する上で最大限留意を要することだと思うんです。
平城宮跡を訪れる人が期待しているのは、奈良時代を感じること、整備に当たっては、往時の姿がわかるものにしなければなりません。
まず、これは大臣に基本認識をお伺いするんですが、平城宮跡における木簡など埋蔵文化財の重要性、それから、保護に当たっての地下水保全の大切さ、こういうものについてどう認識しているか。遺跡の真実性の重要性、こういう点について大臣の見解をお伺いしたいと思います。
○下村国務大臣 特別史跡平城宮跡は、良好に保存された古代の宮殿遺跡として、世界に誇る国民的文化遺産であり、平成十年には、世界文化遺産に登録された古都奈良の文化財の構成資産ともなっておりますが、とりわけ、八世紀の社会、経済、文化をつぶさに語る木簡などの文字史料が良好な保存状況のもと豊富に埋蔵されているという点で、顕著な普遍的価値に貢献をしているというふうに考えております。
こうした木簡などの遺物が埋蔵されている遺跡は重要であり、文化庁としても、十分な保存を行った上で、史跡として活用を図るべきと考えます。
○宮本委員 平城宮址の整備ですけれども、二〇〇八年の閣議決定で国営公園化されて、平城宮址の一層の保存、活用を図ることを目的に事業化をされました。文化庁の特別史跡平城宮跡保存整備基本構想の基本方針、それと、同推進計画を踏まえて国交省は、近畿地方整備局の国営飛鳥・平城宮跡歴史公園平城宮跡区域基本計画というものが定められまして、進められております。
ですから、文化庁の推進計画では、「いかなる活用に供するにせよ、その前提となるのは史跡としての保存であり、活用は、史跡として適正な範囲においてなされなければならない。」と述べて、「保存管理の基本方針」として、一つは「埋蔵遺構・遺物の保存には万全を期す。」二つは「平城宮跡としてふさわしい景観・環境を形成する。」これを設定しております。
国交省の基本計画でも、「いずれの施設整備を行う場合も、遺跡の保存を前提」と述べております。これが建前であります。
ところが、実際にはこの建前から逸脱しかねない事態が起きていると言わなければなりません。
特に問題なのは第一次朝堂院の土系舗装でありますけれども、真砂土にセメント三百三十トンをまぜてこの全体を舗装するというものであります。二〇一二年九月、舗装計画が突然発表され、工事が強行され、この夏には完了いたしました。舗装は寝耳に水だ、長年親しまれた草原を潰さないでなどの驚きの声が上がって、四万人以上の反対署名が寄せられております。
きょうは国土交通省に来ていただいておりますが、この舗装を行った根拠は一体何なのか。公園基本計画に照らして説明いただけますか。
○舟引政府参考人 お答えいたします。
第一次朝堂院につきましては、平成二十年十二月に取りまとめた国土交通省の基本計画において、シンボルゾーンの遺構表示エリアに含まれてございます。
この遺構表示エリアは、主要な遺構についてのわかりやすい表示や解説等を通じ、往時の平城宮における形態や役割を学ぶとともに、周囲の山並み等の眺望とあわせ、平城京の広がりを体感できるエリアとする方針となっております。
今回の舗装につきましては、この方針に基づき、平城京の広がりを体験できるよう、広場整備の一環として行ったものです。
なお、土系舗装につきましては、自然素材であります真砂土と少量のセメントの混合物により舗装するものであるため、周辺環境と調和しやすく、史跡等の整備において多く用いられているものであるから選定をしているものでございます。
○宮本委員 ぜひ委員の皆さんも現場へ行って見ていただけばわかるんですが、往時の姿を体験すると言うんですけれども、この第一次朝堂院跡というのは、今お話があったように、セメントをまぜた真砂土によってべたっと、ただ単なる平地に舗装されたという状況なんです。それで、全面フラットの舗装にするというのは、この公園基本計画のどこにも書いてはおりません。
そこで聞くんですけれども、これは文化庁ですが、第一次朝堂院は、文化庁の推進計画では二十八ページに遺構表示ゾーン、こうなっております。遺構表示とはどういう整備をいうのか。また、今回実施した土系舗装というものは往時の遺構を表示したことになるのか。文化庁次長、お願いいたします。
○有松政府参考人 遺構表示でございますが、遺構表示とは、発掘調査の成果をもとに、部分復原や立体的な遺構表示、そして平面的な遺構表示などの各種の手法によって、原位置の地表に遺構の存在を明示することをいうものでございます。
先ほど御指摘のとおり、文化庁において取りまとめました推進計画におきましては、第一次朝堂院を、奈良時代におけるそれぞれの地区の形態や機能に関する一定の情報を提供するためのゾーンという意味の遺構表示ゾーンに位置づけられておりまして、今回の整備は、こうした遺構表示ゾーンということに沿ったものであるというふうに考えております。
○宮本委員 そこがわかりかねるわけです。遺構表示というものが立体的あるいは平面的に遺構を科学的知見に基づいて表示するものだと言いながら、既に朝堂院跡というものは、あなた方が計画をつくる前に、盛り土で示す形で以前から示されています。つまり今回やったのは、ただ単に、セメントをまぜた真砂土でべたっと舗装したというだけであって、何か新たに表示したものなど、行けばわかりますが、何一つないわけです。
それで、国の計画で発掘調査成果に基づき遺構表示すると定めておきながら、まさに計画から逸脱した整備をしていると言わざるを得ないと私は思います。
きょうは資料一をつけておきました。資料一を見ていただきたいんですが、これは、平成二十四年、二〇一二年一月三十日の第二回文化庁協議記録というものです。文化庁はこの段階では、事前協議の場で、「真砂土舗装は遺構の再現性の面からはそぐわない。」と土系舗装に異議を唱えておりました。
この「遺構の再現性の面からはそぐわない。」というのは、これはどういう意味ですか、文化庁。
○有松政府参考人 委員御指摘の事前協議の部分でございますけれども、正確にはこの部分は、文化庁からは協議の際に、真砂土舗装は遺構の再現性の面からはそぐわない、恒久的な整備でないのであれば、総合的に評価して真砂土舗装を採用することも認められるというふうに発言している部分でございます。
これはすなわち、遺構を当時のままに再現するという意味では、当時は礫敷きであったということを考えますとそぐわないということになりますけれども、遺構の保存という意味では真砂土舗装は問題がなく、また、活用に向けた利便性などを総合的に評価をいたしまして、真砂土舗装を採用することは許容できるという趣旨の発言であったものでございます。
○宮本委員 そのとおり、今のわかっている知見では、この場所は、真砂土、土でできていたんじゃなくて、礫敷きであったことが既に明らかになっているわけです。そういう知見に基づいて表示するのであれば、もちろん礫敷きで再現するのが望ましいわけでありますけれども、今回ここで言っているとおり、先ほど次長の答弁であったように、恒久的でないのであれば、総合的に判断して、ひとまず真砂土、土系舗装ということもこれは別に認められるということですから、こういう議論が交わされたわけですね。
そこで、私は改めて国交省に聞くわけですけれども、なるほど、国交省もこれは暫定整備だとこうおっしゃっております。これは暫定整備と言うわけですけれども、一体、期限はいつまでの暫定整備ですか。
○舟引政府参考人 第一次朝堂院広場につきましては、文化庁の方で平成二十年五月に取りまとめられました特別史跡平城宮跡保存整備基本構想推進計画の中で、「第一次朝堂院については、第一次大極殿院復原が完了した時点で、建物復原の可能性も含めて再度検討の対象とする。」というふうに書かれてございます。
国土交通省としても、同様に考えているところでございます。
○宮本委員 今お話しになったのは、文化庁の推進計画の中に出てくる話なんですね。それは、今お話があったように、第一次大極殿院復原が完了した段階で建物復原の可能性も含めて再度検討と言うんですが、この第一次大極殿院復原というものは、北側回廊の復原を仮に除いたとしても、今後二十年から三十年、総工費で五百六十六億円かけた、なかなかこれは遠大な計画なんです。これが終わったころには暫定でなくなるんだという話をされますと、二十年から三十年というスパンになるわけですよ。
ただ、先ほどの私が示した資料一を見ていただいたら、このとき、国営飛鳥歴史公園事務所、つまり国交省自身が、造成計画の考え方として、「第一次朝堂院広場の造成は大極殿院南門の整備が完了するまでの約十年間の暫定整備と考えており、その間に第一次朝堂院のあり方について委員会による検討が必要」、「発掘調査も必要になる」と自身が述べていたじゃありませんか。いつから期限がなくなったんですか。
○舟引政府参考人 お答えいたします。
委員今御指摘の点でございますけれども、きょうお示しいただいた資料は平成二十四年のものでございますけれども、この協議は、今回の工事に関する現状変更協議、最終的には平成二十四年六月に文化庁から同意の回答があったもので、その協議の途中の議事録と我々は認識してございます。
両省ともに公式な文書として見解を述べておりますのが先ほどの文化庁の計画という趣旨でございます。
○宮本委員 いやいや、この計画を定めた後の議論ですよ、二十四年ですから。計画は二十年の計画ですから、その後議論がされて、注意してほしいのは、文化庁も、恒久的でないのであればこういうことも認められると言っている。認めてくれと言っている国交省の側は、十年間の暫定整備と考えております。こういうやりとりがされているではないかと私は言っているんですよ。おかしいじゃないですか。
○舟引政府参考人 第一次大極殿院がどこまでどの時点で復原できるかということにつきましては、復原原案の検討及び文化財保護法に基づく現状変更協議、これは適宜文化庁と行っているところでございまして、その復原に適した木材の調達等を行う必要があり、現時点で完了時点を推定するというのは、非常に難しいと考えているところでございます。
○宮本委員 いずれにせよ、協議の途中では、十年間を考えていると言い、文化庁の方も、恒久的でないならば、十年程度であるならば、こういうやりとりがあったにもかかわらず、今日では、なかなか期限を言うのは難しいという話になっている。
それで、平城宮というのは子供たちがたくさん見学に来ております。私も二回現場視察に行きましたけれども、二回とも修学旅行のバスに出会いました。子供たちがこの場所を見て、その時点で最も正確な最先端の歴史学的、考古学的な知識で、ああ、ここにはこういうものがあったんだということをちゃんと子供たちに正確に伝えるようにしなければなりません。活用ということをおっしゃるけれども、それこそ一番活用で大事なことだと思うんです。
文化庁にこれはまず基本点を聞きますけれども、今回舗装が行われた第一次朝堂院内の敷地のうちで発掘調査を終えたのは、面積でおよそ何割ですか。
○有松政府参考人 第一次朝堂院におきましては、奈良文化財研究所が発掘調査を行いましたけれども、この第一次朝堂院における発掘調査面積は、第一次朝堂院の三割程度でございます。
○宮本委員 別に全部掘り返せということを言うつもりはないんです。遺跡の保存のためには掘らない方がそれはいいにこしたことはないので、そういう点では慎重さというのが求められるわけですけれども、しかし、別に全てこれをチェックし終えたわけでないわけで、今は三割程度であります。
要するに、この下には木簡などが埋まっている、それが奈良時代から営々と今日まで保存されているのは、豊富な地下水に浸されて変質が妨げられているからであって、さまざまな要因によって万一地下水がかれるということになれば、木簡が傷むということにもなりかねません。
それで、慎重にそこは検討すべきだと思うんですけれども、文化庁も国交省も、今回の土系の舗装は地下遺構の保護に問題がない、これは事前のレクでも、なるほど、両方とも口をそろえておっしゃいました。木簡など遺物に絶対に損傷を与えることはないと言い切れるのか。
そして、万々々が一、これは高松塚古墳の壁画の例を出すまでもなく、大丈夫だと言っていたものでもそういう損傷ということはあり得るわけでありますから、万々々が一、地下の木簡など埋蔵文化財に致命的な影響を与えた場合に一体誰が責任をとるのか。
まずは文化庁、そして国交省の順でお答えいただけますか。
○有松政府参考人 文化庁といたしましては、第一次朝堂院の広場の整備による御指摘の地下遺構への影響につきましては、建設機械による局部的な荷重負担等を防止する配慮がなされるとされていたこと、また、平城宮跡の地下水は、平城宮跡の周辺部北側から流入をして南側へ流出しておりまして、当該広場の舗装が直下の地下水位に与える影響は少ないと考えられたことから、問題はないと判断したところでございます。
国土交通省によるモニタリングによりますと、工事施工後におきましても地下水位が低下している傾向は確認されていないという事実がございますけれども、国土交通省では、引き続き地下水位のモニタリングを行うこととしております。
地下水位に著しい変化が見られるなど地下遺構への影響が懸念されるような場合につきましては、文化庁として、責任を持って対応してまいりたいというふうに考えております。
○舟引政府参考人 今、文化庁の方からも御説明ありましたけれども、地下水位については、当該広場の中の地点でモニタリングを継続しているところでございます。
国土交通省といたしましては、今後の推移につきましては、文化庁とも連携しながら、国営公園の事業主体として、責任を持って対応してまいりたいと考えております。
○宮本委員 文化庁は、二〇〇八年の推進計画で作成が急務だとしております平城宮址の保存管理計画というのは、いまだにつくられておりません。これは着手もされていないわけですが、文化庁、なぜですか。
○有松政府参考人 特別史跡としての平城宮跡の保存管理計画につきましては、ただいま御指摘の特別史跡平城宮跡保存整備基本構想推進計画に基づきまして、特別史跡の管理団体であります奈良県が国などと連携して策定するというふうにされております。
そのように認識しておりますけれども、文化庁としては、これに基づきまして適切に指導助言を行ってまいりたいと考えております。
○宮本委員 奈良県がやるべきことと言うんですけれども、荒井奈良県知事は県議会で、五者協議を続けている、五者協議では、協議の場を持つように奈良県が提案した、五者それぞれの役割に応じて分担し事業を進めている、適宜協議をしていただいているところだ、こう述べてきましたけれども、ことしの七月に、関係機関の役割分担の協議やそのことを踏まえながらこれから検討していきたいと。つまり、現場では策定委員会すら立ち上がっていないんです。にもかかわらず、国はもう国交省、文化庁一体でどんどん工事も進んでいる。
私は、こういう状況は極めて問題だと言わざるを得ないんです。これはやはり、イベントをここで開くとか、あるいは、観光客をここへ呼び込むとかという集客性みたいな議論が前に出ていると言わざるを得ないと思うんです。
きょうは資料二につけておきましたけれども、これは地図ですけれども、実は、第一次朝堂院と第二次朝堂院のこのちょうど中間点に、赤い矢印のところに、あずまや、休憩施設が設置されました。
文化庁の史跡整備の手引というのがありますけれども、この手引では、便益施設は、史跡中核部でない周縁地域を選択するとなっておりますけれども、これは文化庁、なぜ周縁地域というふうにしているんですか。
○有松政府参考人 ただいまお話しのありました「史跡等整備のてびき」でございますが、この手引は、保存と公開、活用の調和に十分配慮した史跡等の整備を行う必要がある、こうした問題意識のもとに、史跡等の整備事業を適切かつ円滑に進めるに当たって必要となる各種の事項を総合的に取りまとめた手引でございます。
この手引においては、便益施設の設置場所につきまして、「史跡等の中核部でない周縁の地域で、かつ学術的な観点から想定される機能上の地割や領域に抵触しない位置を選択する」というふうにしております。
この意味でございますが、周縁の地域であれば、当該施設の設置が遺構の保存に影響を及ぼす可能性や史跡等の景観に影響を及ぼす可能性が低いということでございますので、こうした地域については、便益施設の設置場所についても問題がないということであろうかと思います。
○宮本委員 遺構の良好な保存のためということですね。
実は、なぜこの矢印のところが中核部でないのか、周縁なのかと言うと、第一次朝堂院から見たときには周縁だ、同時に、第二次朝堂院、この部分ももちろん史跡になっておりまして、そっちから見ても周縁だと言うんですけれども、しかし、この第一次、第二次を合わせた平城宮全体から見たらまさにど真ん中なんですね。これを第一次とか第二次に分けるかどうかというのは、勝手に今の我々が分けているだけであって、遺構の良好な保存にとっては、このど真ん中、ここというのは、これはまさに精神からいえばおかしいんじゃないんですか。
○有松政府参考人 先ほど申し上げましたとおり、「史跡等整備のてびき」につきましては、史跡の保存と公開や活用との調和を十分配慮して整備する必要があるという観点が踏まえられております。
先ほどの資料の便益施設につきましては、御指摘のとおり、第一次朝堂院と第二次朝堂院の中間にあります、現在の道路部分のところに設置がされようとしているものなどでございます。
この地域につきましては、当該施設の設置が遺構の保存に影響を及ぼす可能性ですとか景観に影響を及ぼす可能性が低い、この広大な史跡全体の中で便益施設をどこに置くかという保存と活用の調和を配慮するときに、この地域については、遺構の保存などに影響を及ぼす可能性が低いという意味で可能ではないかというふうに考えておるわけでございます。
○宮本委員 時間が来ましたので、最後一問だけもう一度次長に聞きたいんですけれども、私たちは、やはりこの土系舗装というのは今からでもやめるべきだ、やめるというのは取り去るべきだと思うんですが、少なくとも礫敷きということが明らかになってきた、そして、この図にもあるように、この第一次朝堂院跡には、中央に通りが通っていたことが明らかになっています。遺構表示と言うのであれば、やはりその遺構がちゃんと表示されるようにすべきだと私は思うんですけれども、最後にそれをお伺いして質問を終わりたいと思います。
○有松政府参考人 発掘調査では、第一次朝堂院の南北に二条の溝が存在していることが確認をされております。そして、そのことによってその間が通路であったと考えられますけれども、遺構を表示するに足るだけの十分な学術的根拠はいまだ得られていないという状況でございます。
将来、研究が進みまして、中央の通路についての学術的根拠が十分に得られ、これをもとに国土交通省が当該通路の遺構を表示する整備を計画されるというようなことがありましたら、現状変更の許可等で文化庁としても適切に対応してまいりたいというふうに考えております。
○宮本委員 終わります。