平成二十五年六月二十日(木曜日)
午前九時開議
出席委員
委員長 松島みどり君
理事 北川 知克君 理事 鈴木 淳司君
理事 中根 一幸君 理事 永岡 桂子君
理事 山本ともひろ君 理事 菊田真紀子君
理事 坂本祐之輔君 理事 浮島 智子君
赤枝 恒雄君 秋元 司君
岩田 和親君 熊田 裕通君
小林 茂樹君 新開 裕司君
末吉 光徳君 田畑 裕明君
堀内 詔子君 宮川 典子君
武正 公一君 柚木 道義君
遠藤 敬君 西野 弘一君
輿水 恵一君 畠中 光成君
宮本 岳志君
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参考人
(公益財団法人日本オリンピック委員会理事) 山口 香君
参考人
(宮川医療少年院児童精神科医) 宮口 幸治君
参考人
(静岡文化芸術大学文化政策学部准教授) 溝口 紀子君
参考人
(開善塾教育相談研究所相談部長) 藤崎 育子君
衆議院調査局第一特別調査室長 横尾 平次君
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委員の異動
六月二十日
辞任 補欠選任
田畑 裕明君 末吉 光徳君
同日
辞任 補欠選任
末吉 光徳君 田畑 裕明君
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本日の会議に付した案件
青少年問題に関する件(いじめ・体罰問題)
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○松島委員長 次に、宮本岳志さん。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。
きょうは、四人の参考人の先生方、まことに示唆に富んだ深いお話をありがとうございました。
私は、国会のラグビー議員連盟というのをやっておりまして、また、国会の中にあるスポーツ議員連盟の一員でもあります。スポーツ基本法というものをつくる中にも加わりました、法案提案者の一人でもあります。
この基本法は、私は非常に歴史的なものだと思っておりまして、冒頭に、「スポーツは、世界共通の人類の文化である」ということを高らかに宣言しておりますし、「基本理念」の冒頭には、「スポーツは、これを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利である」、スポーツは権利であるということを宣言したという点でも、歴史的、画期的なものだったと思うんですね。
こういう精神に立って、JOCを初めスポーツ五団体が、先日、スポーツ界における暴力行為根絶宣言というものを、非常にすばらしい中身を持ったものを発表され、その発表の場のシンポジウムにも私は参加をさせていただきました。
スポーツ基本法やこの宣言で触れられている、まさに、スポーツは文化であって、スポーツは人権なんだという立場に立てば、そういう世界に暴力とか体罰というものが横行する余地はないはずであります。
その点で、まず、スポーツの存在に照らしてこの問題をどう捉えるかというあたりのことを、山口参考人、そして溝口参考人、簡単にお聞かせいただきたいと思います。
○山口参考人 その点については、先ほどからも随分お話を、先ほどもちらっと申し上げましたけれども、権利というところでいえば、日本がスポーツを文化として法律にそうやって掲げている割には、権利として本当に認められているんだろうかというふうに私は考えております。
先ほども申し上げましたけれども、子どもたち、生徒、学生がスポーツをやりたいと思ったときに、自由に、そして自分が求めるものを、スポーツ環境ですね、求められる環境が必ずしも整備されているとは言えないというふうに私は思います。
例えば、学校で、この指導者には合わない、この指導法には合わない、私とは目指すものが違うんだと思ったときに、その子がクラブをやめるということは、そのスポーツから離れることを意味します。もしかしたら、ヨーロッパのようにスポーツクラブが非常に根づいていれば、私はこの先生で楽しいスポーツをやりたい、この人について厳しいスポーツをやりたい、勝利を目指したいと。
やはり、そういった選択肢が今の日本ではまだまだ確立されていないということがあるというふうに私は考えておりますので、そのあたりを、国も、JOC、そして体協、さまざまなスポーツ団体が連携をしながら整えていく必要があると感じております。
○溝口参考人 スポーツはそもそも非暴力であるはずなのに、そういった数々の不祥事があって、我々が思う理想と現実は違っているということも、宮本さんの御指摘どおりでございます。まさに今、スポーツの民主化の移行期ではないかなと思います。それに対して、胎動のあらわれと私は言いましたけれども。
だからこそ、今まではむしろそういった問題すら上がってこなかったのではないか、顕在化できたことが第一歩で、それをやはり認識して、解決、分析していく過程ではないか。それには痛みも伴うかもしれませんけれども、それが、平成二十三年のスポーツ基本法の効果がまずあって、そしてオリンピック招致という一つの潮流になっていると私は思います。
そういった意味では、決して後退しているわけではなくて、前進をしているものだと思っております。
○宮本委員 そういう点では、十五人の勇気ある行動を励まされた山口参考人や、まさに十六人目の勇気ある告発にかかわられた溝口参考人の果たされた役割に、本当に敬意を表したいというふうに思っております。
本来喜びであるはずのスポーツの中で、そういうことが起こってしまった。そういう中で、勝利至上主義に一つの原因があるんじゃないかという議論があるんですけれども、ただ、このスポーツ界の宣言を見ますと、「指導者は、暴力行為による強制と服従では、優れた競技者や強いチームの育成が図れないことを認識し、暴力行為が指導における必要悪という誤った考えを捨て去る」と。つまり、体罰や暴力では、勝利至上主義にもならない、強い選手やチームもつくれないというのが、今日のスポーツ界の到達点だと思うんですね。
その点で、改めて、日本のスポーツ界におけるスポーツ指導のあり方、スポーツ指導者のあり方、こういうものについてさらにもう一歩高い段階を目指す必要があると思っているんですけれども、この点についても、山口参考人、そして溝口参考人のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○山口参考人 現在、スポーツ界においては、一貫指導ということで、スポーツを、一貫して、理念を共有しながら、指導者がいい選手たちを育てていって、最後はオリンピックレベルあるいはワールドカップレベルという非常に高いところでパフォーマンスを発揮できるようにというような取り組みをしております。
先ほど勝利至上主義ということを言われましたけれども、つまり、その現場の指導者がどこを目指す勝利至上主義かというのが非常に問題になります。
日本は、学校制に準じておりますので、例えば中学校三年間、高校三年間、大学四年間、その都度結果を出すことが勝利なんですね。
でも、スポーツ界全体で見ると、最終的に結果を出すのはもっと高いところなんだ、だから、ここで何を教えるのか、ここでどういう指導をさせるのか、そして最終的に、トップスポーツで、トップ、トップで成果を上げるためには、何度も申し上げますが、やはり、自発的な行為、そして、自分からも火の中に飛び込むような、ある種そういったものが必要になってくるわけです。
ただ、今の状況ですと、中学校の先生は中学校で成績を出さないと評価されないシステムになっているわけですね。
ですから、例えば、オリンピックでメダルをとった選手が、小学校のときはどなたに教わったのか、中学校はどなたで、高校はどなたで、その都度そこで楽しいスポーツを教えてもらったから今があるんだと、やはり、そういう評価システムといったものも、今少しずつそういう方に動いているんですけれども、さらに進めていくことも必要だと思います。
○溝口参考人 日本のスポーツ界の勝利至上主義についてなんですけれども、ただ単に勝つこと、オリンピックを頂点としたスポーツが形成されているというのも現実ですけれども、それプラス商業主義、やはり、今回レスリングが一時的に落選しましたけれども、視聴率がとれるか、人気があるかとかそういう論点で。
そもそも、視聴率のために我々はスポーツをやっているわけではなくて、本当に楽しみながら、遊びという、ホモルーデンスとか、ロジェ・カイヨワとかホイジンガが言う遊び、我々は、本当は遊ぶ人たち、本能でスポーツをやっているはずなのに、そこにマーケットが入ってきて、視聴率だ、スポンサーがついたりと。
今、古典的なスポーツと現在のスポーツというのはあり方が変わっていて、それを全面的に否定するわけではなくて、やはりオリンピックの祭典はすばらしいですし、超人的なわざを見る、それにはスポーツ科学の知識が必要で、サポートも必要で、商業主義というのがあるからこそスポーツ科学も発展すると思います。ただし、そればかりになってしまっていることが、我々、暴力とか行き過ぎた指導に、部活動でもそうだと思いますけれども、なると思います。
やはり、スポーツ権の本来の部分で、遊び、スポーツをなぜやるのかというところを一人一人が子どものうちからちゃんと共有できているか、そういった教育を我々はしていかなければいけないのかなと考えております。
以上です。
○宮本委員 本当に、おっしゃるとおりで、スポーツの本来のあり方ということに立てば、強い選手を育てるということは、自律や自立、自分で律する、自分で立つということを山口参考人はおっしゃいましたけれども、自分の頭で考えて、そして責任を持って行動できる、そういう選手を育てるということだと思うんですよね。
その点で、この前のシンポジウムでも言われていましたけれども、医療の分野におけるインフォームド・コンセントのような観点がスポーツ指導者に求められると。つまり、ただ単に指導者が、これをやれ、わからなくてもやれと言うんじゃなくて、今、あなたの技術の弱い面がここにある、それを強めるにはこういうトレーニングが有効なんだ、だからやってみますかと説明をし、本人も納得してやるということが必要であって、四の五の言わずにわかろうがわかるまいがやれと言うのはそもそもスポーツ指導じゃないんだという議論も聞きました。なるほどと納得をいたしました。
私は、スポーツの問題でこの体罰の問題をずっと議論し、勉強してきて、一部には、スポーツの、運動部の指導で体罰は許されないけれども、生活指導上については何か余地があるんだみたいな議論があるんですけれども、スポーツのこの体罰問題を学べば学ぶほど、実は全ての問題で、一つのことを子どもたちや選手たちに伝えていくという作業は、暴力が入り込む余地はなく、やはり納得して相手に本当につかんでもらうということが大事なんじゃないかと。これは、実は全てに通じて、教育の現場から、またスポーツの現場からそもそも体罰や暴力というのは一掃されるべきであって、余地などないのではないか、だから、そういう意味では線引き論というものはおかしいのではないか、そういう思いを今しております。
最後に、ちょっとこの点、簡単にで結構ですけれども、山口参考人、溝口参考人にお答えいただきたいと思います。
○山口参考人 人を教えるときに、難しいのは、やはり、しつけというのも私は当然あってしかるべきだというふうに思っております。ですから、罰しなくても話してわかる、体で罰しなくても、体罰を行わなくても話せばわかるという年齢と、小さな子どもの場合、危険から遠ざけるために、そして危険を察知させるために、やはり体に覚え込ませるということも、当然、これはある種必要な部分ではあると思います。
ただ、それが、幾つになっても、わかるようになっても続いていくようでは、それこそ、教えられる側に、聞く力であったり理解する力というのも養われていかないとというところがあると思うんですね。
そして、その一方で、教える側や指導する側の説明する力、そして理解させる力、そういったようなことが相まってこういった体罰といったことが恐らく根絶されていきますので、悪いというふうに言ってしまうことはある種簡単であり、もうやめろと言うことも簡単なんですが、やはり、隠れてやるようになるともっと根が深くなりますので、体罰はいけないんだと言葉で説明できる年齢に至ったら、それはないということをまず共通認識として持って、そしてあとは、それをどういうふうに実現していくかという方法論をこれからはやはりきちんと話をして、悪いと言うだけではなくならないということを私たちは認識して、粘り強く取り組んでいきたいと思っております。
○溝口参考人 私も、暴力は手段としてはないものだ、懲戒権は教員には、体罰を加えるということは暴行になりますので、ないという前提で考えております。
だけれども、現実は、体罰をする教員もいるし、体罰を受け入れる生徒も選手も、そして保護者もいます。それを変えていくのには、いきなり脱体罰はできなくて、卒体罰という過程が必要じゃないかなと思います。その過程で、体罰にかわる、先ほどから言っていますけれども、ペナルティーの与え方というのをちゃんと学習しなければいけない。しつけになると思います。
例えば、交通ルールを違反した場合、我々は警察に殴られないですよね。今スピード違反だと、殴られて終わりではないですよね。減点されて、罰金を払う、そういう規則なわけですよね、我々法治国家の中では。それが社会なんですよね。それを学校とかスポーツを通じて学ぶ場面であって、それが暴力であってはいけないわけですよね。それでは社会では通用しない。
そういう観点から、やはり意識を変えていくということが地道に必要かなと考えます。
○宮本委員 次は、あと二人の参考人にお聞きします。
実は、昨日、衆議院文部科学委員会が開かれまして、いじめ防止対策推進法案というものが、私は反対をさせていただいたんですが、これが文部科学委員会で可決いたしました。きょう、本会議が開かれて、この後、本会議でこれが採決されるという予定になっております。
私は、この法案の中で非常に気になる条文がありまして、このいじめ防止対策推進法案の第四条には、こうあるんです。「児童等は、いじめを行ってはならない」と法文に、条文に書いてあるわけです。
この「児童等」は、子どもですね、子どもにいじめを行ってはならないぞと法律で定めて、そしてやめさせる、こういうことが、本当に、現場でやっておられる方々にとって有効なのか。もちろん、この法律は、その後にいろいろ書いていますから、それだけじゃないですけれども、しかし、まず、そんなことを法律で定めるということ自身がおかしいのではないかということを申し上げたんです。
子どもたちの現実の姿でいえば、どの子も、いじめる、いじめっ子になる可能性も、いじめられる可能性もある。そして、いじめっ子といじめられっ子が入れかわるということも間々あることであって、子どもにとっては、いじめというのは一つの過ちなんですね。それを早い段階でとめて、継続させず、命や心身を守りながら、乗り越えて学ばせることが大事であって、頭から禁止するということに教育的な効果はないというふうに私は申し上げたんです。
その点で、僕は、いじめをなくすためには、いじめる子がいじめなくなることがまず何より大事でありますから、いじめを行った子どもにどういう対応をするかというのは非常に大事なポイントだと思うんです。
現場の先生方に聞くと、いじめをするなと叱りつけるなどというのはほとんど効果がない、何か嫌なことがあったのと、こう耳を傾けるというのが一番大事で、その声を子どもは待っているんだ、こういうふうに言うわけですね。
その点では、私たち、しっかり法律をつくり、運用する上でも、こういう角度が非常に大事だと思うんですけれども、もう時間がありません、全部まとめて、宮口参考人、藤崎参考人からお話しいただいて、私の質問の時間を終わりたいと思います。
○宮口参考人 先ほどおっしゃっていただきましたように、私もあれを読ませていただきましたけれども、本当に現場の声というのがすごく欠けているなと思うところは、いじめを受けている、実際にそういう中学生から聞いた話なんですけれども、そんなの、とてもじゃないけれども言えない。言えませんよね。学校の先生に言ったところで、何とかしてくれるなんか思っていません、子どもは。逆に、事が大きくなると、もう学校にその子自体がいられなくなりますよね。
それで、スクールカウンセラーに言ったらどうかと。そんなの、スクールカウンセラーに言ったら、もうそれだけですごくみんなの注目を浴びて、絶対に言えないと思いますね。
我々だってそうですよね。例えばパワハラとかを受けていて、言えますか。半ば、いろいろ考えた上で、悩んで悩んでやっと言えるかどうかというところでしょう。子どもなんかもっと弱い存在ですから、言えるはずはありません。
ですので、ではどうするかというところ、いじめの早期発見というところなんですけれども、一番いじめの情報を握っているのは子ども同士のネットワークなんですね。それはもう間違いないです。
それで、次にネットワークがあるのは、お母さんのネットワークなんですね。特に母親というのは、自分の子どもを守るために、自分の子どもはどんな子と仲がいいかとか、友達関係、物すごく詳しく知っています。
自分の子どもが言うんですね。あの子、いつも誰々ちゃんからお金を取られているよとか、それから、あの子のお母さん、いつも夜帰ってこないんだってとか、そういうことをぽろっと言うんですよ。そのとき、母親が、ふうんという感じで聞き逃しちゃうんじゃなくて、これって恐喝されているんじゃないかとか、ネグレクトに遭っているんじゃないかとか、素早くキャッチして、判断して、大変な問題だというのを、これで支援者に相談できるような、母親の教育というかトレーニングみたいな、そういうところがすごく必要かなと。
現場で一番力を持っている、ネットワーク力を持っている母親、子ども、母親のネットワーク力、それを重視していただければと思います。
○藤崎参考人 宮本先生のとてもお優しいお気持ちというのが伝わってきまして、現場での指導では先生のお考えが非常に大事だと思います。
ただ、あえて私は、この法案に賛成いたします。
というのは、いじめを行っている子どもが、それをいじめだと意識していない、あるいは、始めたときにやめられない、その子を殺す、自殺に追い込むまでやめられないという現状、それからまた、親も自分の子どもを信じたいので、うちの子はいじめていないとなった場合に、子どもの中で反省した気持ちが生まれても、親にそう言われたときに、ああ、あれはいじめではなかったと、全ての子どもに対する教育の機会が失われることになります。
いじめは大人の模倣だと私は思っています。学校の中で先生同士のいじめもありますし、それを見て子どもがまねしていく。やはり、そこに、校長先生が、柔軟でありながらも、決して許さないぞというような強い意思と覚悟を子どもたちに見せていく、また、このいじめという言葉を、どのようなものであるかということを子どもたちに教えていく、この解釈、それこそ今後の教育現場での課題だと思います。
ですから、この法案に賛成させていただきたいと思います。
以上です。
○宮本委員 時間がオーバーしました。心から感謝いたします。
終わります。