平成二十五年四月五日(金曜日)
午前八時五十一分開議
出席委員
委員長 山本 有二君
理事 伊藤 達也君 理事 岩屋 毅君
理事 遠藤 利明君 理事 小此木八郎君
理事 西銘恒三郎君 理事 萩生田光一君
理事 長妻 昭君 理事 山田 宏君
理事 石田 祝稔君
あかま二郎君 秋元 司君
伊藤信太郎君 今村 雅弘君
うえの賢一郎君 衛藤征士郎君
大塚 高司君 大塚 拓君
奥野 信亮君 門 博文君
門山 宏哲君 金子 一義君
神山 佐市君 神田 憲次君
菅家 一郎君 木内 均君
熊田 裕通君 小池百合子君
小島 敏文君 小林 茂樹君
小松 裕君 古賀 篤君
今野 智博君 清水 誠一君
島田 佳和君 白石 徹君
新谷 正義君 助田 重義君
関 芳弘君 田畑 毅君
渡海紀三朗君 野田 毅君
原田 義昭君 船田 元君
牧原 秀樹君 宮路 和明君
村上誠一郎君 保岡 興治君
山本 幸三君 若宮 健嗣君
大西 健介君 岸本 周平君
後藤 祐一君 玉木雄一郎君
辻元 清美君 寺島 義幸君
原口 一博君 細野 豪志君
前原 誠司君 松原 仁君
伊東 信久君 坂本祐之輔君
椎木 保君 重徳 和彦君
高橋 みほ君 中田 宏君
中山 成彬君 東国原英夫君
藤井 孝男君 浮島 智子君
佐藤 英道君 柿沢 未途君
佐藤 正夫君 椎名 毅君
塩川 鉄也君 宮本 岳志君
玉城デニー君 村上 史好君
…………………………………
内閣総理大臣 安倍 晋三君
財務大臣 麻生 太郎君
外務大臣 岸田 文雄君
文部科学大臣 下村 博文君
厚生労働大臣 田村 憲久君
農林水産大臣 林 芳正君
経済産業大臣 茂木 敏充君
環境大臣 石原 伸晃君
国務大臣
(内閣官房長官) 菅 義偉君
国務大臣
(復興大臣) 根本 匠君
国務大臣
(経済財政政策担当) 甘利 明君
財務副大臣 山口 俊一君
政府特別補佐人
(原子力規制委員会委員長) 田中 俊一君
政府参考人
(資源エネルギー庁長官) 高原 一郎君
政府参考人
(原子力規制庁次長) 森本 英香君
政府参考人
(原子力規制庁原子力地域安全総括官) 黒木 慶英君
参考人
(元東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員)
(科学ジャーナリスト) 田中 三彦君
参考人
(東京電力株式会社代表執行役社長) 廣瀬 直己君
参考人
(札幌医科大学教授) 高田 純君
予算委員会専門員 石崎 貴俊君
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委員の異動
四月三日
辞任 補欠選任
あかま二郎君 石川 昭政君
今村 雅弘君 橋本 英教君
大塚 高司君 坂本 剛二君
関 芳弘君 菅家 一郎君
牧原 秀樹君 土井 亨君
中田 宏君 小熊 慎司君
村上 史好君 玉城デニー君
同日
辞任 補欠選任
石川 昭政君 あかま二郎君
菅家 一郎君 関 芳弘君
坂本 剛二君 大塚 高司君
土井 亨君 牧原 秀樹君
橋本 英教君 今村 雅弘君
小熊 慎司君 中田 宏君
玉城デニー君 村上 史好君
同月五日
辞任 補欠選任
大塚 拓君 小松 裕君
塩崎 恭久君 神山 佐市君
中山 泰秀君 神田 憲次君
西川 公也君 門 博文君
牧原 秀樹君 菅家 一郎君
宮路 和明君 島田 佳和君
保岡 興治君 門山 宏哲君
若宮 健嗣君 村上誠一郎君
岸本 周平君 松原 仁君
玉木雄一郎君 細野 豪志君
原口 一博君 後藤 祐一君
前原 誠司君 寺島 義幸君
坂本祐之輔君 藤井 孝男君
中山 成彬君 高橋 みほ君
東国原英夫君 椎木 保君
佐藤 正夫君 椎名 毅君
宮本 岳志君 塩川 鉄也君
村上 史好君 玉城デニー君
同日
辞任 補欠選任
門 博文君 熊田 裕通君
門山 宏哲君 古賀 篤君
神山 佐市君 小林 茂樹君
神田 憲次君 小島 敏文君
菅家 一郎君 木内 均君
小松 裕君 大塚 拓君
島田 佳和君 宮路 和明君
村上誠一郎君 若宮 健嗣君
後藤 祐一君 原口 一博君
寺島 義幸君 大西 健介君
細野 豪志君 玉木雄一郎君
松原 仁君 岸本 周平君
椎木 保君 東国原英夫君
高橋 みほ君 伊東 信久君
藤井 孝男君 坂本祐之輔君
椎名 毅君 佐藤 正夫君
塩川 鉄也君 宮本 岳志君
玉城デニー君 村上 史好君
同日
辞任 補欠選任
木内 均君 牧原 秀樹君
熊田 裕通君 清水 誠一君
小島 敏文君 白石 徹君
小林 茂樹君 今野 智博君
古賀 篤君 保岡 興治君
大西 健介君 前原 誠司君
伊東 信久君 中山 成彬君
同日
辞任 補欠選任
今野 智博君 新谷 正義君
清水 誠一君 助田 重義君
白石 徹君 田畑 毅君
同日
辞任 補欠選任
新谷 正義君 塩崎 恭久君
助田 重義君 西川 公也君
田畑 毅君 中山 泰秀君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
公聴会開会承認要求に関する件
政府参考人出頭要求に関する件
参考人出頭要求に関する件
平成二十五年度一般会計予算
平成二十五年度特別会計予算
平成二十五年度政府関係機関予算
派遣委員からの報告聴取
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○山本座長 次に、宮本岳志君。
○宮本委員 きょうは、四人の公述人の皆様方、本当に貴重な御意見をありがとうございます。私、日本共産党の宮本岳志です。
予算委員会は、この地方公聴会を終えましたら、四月の五日に原発事故問題での集中審議ということも予定をしております。本日お伺いした御意見をしっかり受けとめて、原発事故あるいはエネルギー政策ということでの国会の議論を進めていきたいと思うんです。
まず、渡辺市長にお伺いしたいと思います。
県内で一番多くの二万四千人という避難者を受け入れていただいていること、それに伴うさまざまな困難があるという話もよくわかりました。みずから、九万棟という仙台市に次ぐ被害がそもそも地震でも津波でもあったんだ、この方々、住民への責任も問われると。こういうもとで本当に頑張っていただいていることに、心から敬意を表したいと思います。
先ほど給食の問題等も出ましたけれども、やはり国がきちっとその責任を果たす、そういう御負担をおかけしていることに対して。どの役所がどう段取りするかとかというところでの手続が縦割りかどうかというのはあるにしても、ちゃんと国が責任を持つので御安心ください、この一言がなかなか出ないと、本当にどこまでやるのか、どこからかはやってもらえないんじゃないか、ここがやはり現場で一番悔しいというか不安に思われるところだと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○渡辺敬夫君 私が一例、二例挙げていることについて、私は、とやかく言っているわけではない。ただ、国の体質が、先ほどあったように、今、平時なのか非常時なのかという原点から物事を考えるべきだということの一例で申し上げた。僕が文科省に行ったとき、文科省の言いぐさが悪かったから、僕は言っただけの話。
一昨年の三月十二日ですよ、最初に楢葉町の当時の草野町長から、一千名避難させたいから避難所を確保してくれと。それから終始一貫、双葉郡の皆さんを支援する、一方で、いわきも甚大な被害を受けているから市長として必ず五年間で復興する、この基本でやってきました。
私は、正直言って、風評被害の話がいろいろ出ていますけれども、政府の対応は甘いと思っていますよ。県には来ていますけれども、いわき市に来ていませんから。いわき市は、二十三年度四億、二十四年度四億五千万、計八億五千万、市単独事業で風評被害払拭キャンペーンをやっております。
国が悪い云々だとかと私は言うつもりはさらさらないんです。ただ、今本当に国は、平時だと思っているんですか、非常時だと思っているんですか。この認識がないから、時々私もキレて物事を言うようになるので、先ほどの子供の話も一例を挙げただけで、それが問題でお金を下さいという意味で言っているわけではないんです。
基本的に、枠組みをしっかりつくって、制度設計をつくって、これでどうだと言われたら、はい、わかりましたということで私は進めていきたいと思っておりますので、そういうことの思いで先ほど話しただけです。
○宮本委員 ありがとうございます。
私は、話を聞かせていただいて、より根本には、決して、今回、今起こっているこの困難な事態、これはいわき市の市民にももちろん責任は何もない、同時に、双葉郡内の避難している住民の方々にももちろん責任はありません。こういう事態が起こっている一番の原因は、まさに安全神話を振りまいて、安全対策をとらずについに事故を起こした東電と国に責任があるわけですから、ここで起こっている事態の全責任はやはりそこにあるということをはっきりさせて、現場の方々のそういう被害をきちっと補償していくということが大事だというふうに思うんですね。
浪江町の馬場町長様には、七百五十五日、自分の布団に寝たことがない、そういう話もお聞きしました。SPEEDIの情報を隠したことが住民の健康に大変被害を及ぼしたという話も、そのとおりだと思います。
先ほど来、やはり国は平常時と思っているんじゃないかという議論が出ていますけれども、これはもう伊東さんが御指摘になったとおり、収束したという認識に立てば異常時から平常時に戻ったということになるわけであって、ここにやはり一つの根本的な間違いがある。
私たちは、まだ収束なんてとんでもないと。今の政権は収束という言葉をもう使わないとおっしゃっているので、意は通じていると思うんですが、収束などということは、現状は全くそうじゃないし、これはやはり撤回すべきだと私は思うんですけれども、これは、町長とそして市長にも、重ねてこの認識をお伺いしたいと思っております。
○馬場有君 まさに、私は、収束はしていないと。これは町議会の質問にも答えています。
それから、三月十八日のあの電源のトラブル、あれ一つ見ても、やはり、何かあったらばもう大変なことになってしまう。
今私ども心配なのは、一時帰宅が自由になって、どんどん今入っています、浪江町に帰っています。そこでまたぼんとやられたら、本当に、先ほどの話でないですけれども、どこに避難したらいいのかということですね。私が今考えているのは、もしそのときに、どういうような連絡体制がと。
今、防災無線を直しました、ただバッテリーを交換するだけのものでしたからね。ただ、津波でやられた周辺沿岸部は、全部さらわれてしまいましたので、防災無線の基地はありません。ただし、バッテリーだけはほかの地域は生きていましたので、それを生かして、何かあったときにはそれで流して、避難所にとにかく戻っていただくとか、あるいは鉄筋コンクリートの建物の中、役場なんかはそういう建物ですから、そこに避難してもらう、そういう体制を今とっています。それについても、本当に、危険を、危機を感じながら一時帰宅を今させているという状況です。
ですから、原発の事故の収束はしていないということです。
○渡辺敬夫君 私自身も、先ほど申し上げたように、地域防災計画の原子力対策の暫定版の話のとき、第二原発だけだというお話をしたと思うんですね、避難計画を含めて。第一は収束していないんですから、今も事故の状況ですから、第一のものは事故ですから、第一の計画はつくりようがないんです。第二は、一応事故を起こしていないので、第二が問題があったときの避難計画をつくったということです。
結論から言いますと、収束はしていないという認識でそういう計画をつくっております。
○宮本委員 ありがとうございます。
今、事故自体がまだ、事故原因も全てつまびらかになっていない、収束もしていない。こうなりますと、これはもう福島の声としては、福島県内の原発十基というものは動かしてもらっちゃ困る、これはやはり廃炉という声がずっとどこでも出てくるのは、当然のことだと思うんですね。
先日は、浪江・小高原発は、そもそも新設の断念ということも決まりました。そういう点では、これはまた二人の首長さんにお伺いしますけれども、県内十基の原発はやはり廃炉しかない、この点もよろしいでしょうか。
○渡辺敬夫君 結論から言うと、十基廃炉ということです。
○馬場有君 もちろん十基廃炉で、今先生が御指摘のように、四十数年来、浪江・小高地点の原発の予定が白紙撤回をされたということで、これは、福島県民の心情を察すれば、当然のことだと思います。したがって、原発の今ある十基については、当然廃炉にしていくべきだというふうに考えています。
○宮本委員 ありがとうございます。
それで、伊東達也公述人、お待たせをしたわけでありますが、冒頭、資料を配られたわけですけれども、その説明がございませんでした。
実は、私は国会で文部科学委員会を担当しておりまして、国会でも、この事故が起こるまで教育現場でやられてきた原発についての教育というのが、本当に安全神話そのものの、五重の壁に守られていますとか絶対大丈夫ですとかということを副読本でずっとやってきたということも随分文部科学委員会で取り上げてきたんです。
つけていただいた資料の中には、「原子力を考える日」事業で子供たちが書いた原発事故前の文章も載っておりまして、中には、原子力発電は現在開発されている方法の中で最もクリーンなものだということがよくわかった、そういう声が子供たちから出ていたり、原子力発電所のある町の住民としてとてもうれしく、そして誇りに思います、これからも原子力発電が成長していくことを願っています、こう子供に書かせた。それが今日、本当に、二人の首長さんも、十基はとてもじゃないが廃炉以外ないということですし、収束などとてもしていない、こういう深刻な事態になっているわけですね。
そういうことについても私も非常に考えさせられたわけですけれども、ぜひ、資料の御説明を伊東公述人からお願いしたいと思います。
○伊東達也君 今取り上げていただいたのは資料ナンバー六だと思うんですね。これは、立地町では全戸に配付されておりました。それから、注文しますと、郵送料なしで福島県民は読むことができました。私は、ちょっと関心がありまして、この「アトムふくしま」というのを、発行してからほぼ全号取りそろえていると思うんです。読んできました。〇四年というのをとったのは、象徴的だからとったのではないんです。今の二十二、三の人が中学生ぐらいだと思うんですね。これは、後から読んでください。
特に、二番目の富岡中二年の女子生徒なんですが、この人の書いたことは本当に痛ましいですね。原子力発電と聞いて私が思い浮かぶのは危険だということだったという書き出しから始まって、学校でいろいろ教えていただいたら、それは全くの間違いだったといって、一番最後に、私はこれは大人に向かって意見を述べているのでないかと思ってしようがないんですね、富岡町の町民の皆さん、町民とは使っていないんですが、その私の考えは誤りでした、原発は安全なんです、固定観念を捨てましょうとまで言うんですね。
こういうことはもう二度と繰り返してならないということで、実は、その前のものを見ますと、中越沖地震のときに、私どもは、いよいよもって日本で地震が原因で原発震災が起こるということはもうほとんど確信的に思っていましたので、すぐに東京電力と国の方にも出かけました。電事連にも出かけました。
それはなぜかというと、この資料五にあるように、当時の経産大臣は、今回は大きく想定を超える地震だったけれども新潟の発電所は耐えたでないか、これが真実だということを国民に訴えているんですね。これは電気新聞。私どもは、これはやめてくれ、必ずこういうことは事実が証明してしまうと思うということまで言ったんです。
あとは、この資料四のように、これは国が出したんですが、「原子力発電所の地震対策はチョー横綱級です。」とか。いろいろ手を尽くしているというのを述べるのは、それはいい。でも、こういうふうに、どんなことがあったって日本の原発は事故を起こさないみたいなことはやめてくれということで、よくこういうものを持って、私どもは話を申し上げた。
資料三は、これは二〇一〇年十一月二十二日ですから、あの三・一一の四カ月前ですよ。このときも、これらの、電気事業連、国の係に行って、この「記」というところを見ていただきたいんですが、活動期に入った大地震について、迫り来る大地震に対する日本の原発等への国民の不安について皆さんは共有されますか、原発等の大地震への備えはどうなっていますか、それで大丈夫ですかと。
なぜこんなことを言い出したかというと、何回言っても、素人だという言葉は使わないですよ、でも、ありありとしているんです、あなたたちがそういう心配をするのはわかるんだが、絶対大丈夫なように国は見張っているし、科学者が全力投球していると。いや、そうでないから、私どもは、前からこういう陳情書を出して、チリ級の津波が来ればだめだというのは東京電力が認めているんだよと。一九六〇年ですから、チリ津波が。そのときに日本には原発はゼロでしたから。
そういう点から、幾ら言っても聞いてもらえないから、こんな事故を起こせば困るのは国じゃないですか、東京電力じゃないですか、それだけでも共有できないんでしょうかというこの陳情書みたいになっているんです。でも、共有できない、こういうふうな回答を通してきたんですね。
何としても、こういうことを国会で、一つ一つみんな、国が発行しているものに目を通すというのは難しいかもしれませんが、こういうふうなことはもうやめようと。これが、私は、事故収束宣言以降にまた何かおかしくなってきているのを見ると、もうやめてくださいよと。特に、子供まで巻き込んで大丈夫だなんということを言ってはだめだということで、返す返すもそういう点では私は残念で残念で、皆さんにぜひこの点でも御努力いただきたい。
最初の資料一は、今回の事故が起こるということを専門の学者まで国会の公聴会で発言しているんですよね。こういうものを私どもは持っていっているんです、国には。
ちょっと長くなって、済みません。
○宮本委員 日ごろそういう医療、福祉の現場で伊東さんがやっておられて、先ほど来首長さんとの議論でも出てきたような、やはり住民の間の分断とあつれきといいますか、さまざまな食い違い、これが非常につらいというか、つらい思いで見ておられると思うんですね。
私の方からは、その根本にはそもそも一番の原因者があるじゃないかということも申し上げたわけですけれども、分断やあつれきを乗り越えて、本当に住民がともにこの問題を乗り越えていく上で大事だと思うことがございましたら、お話を聞かせていただきたいと思います。
○伊東達也君 簡潔にします。
例えば、私は、いわき市民ならばこういうことを考えてほしいということはよく言うんです。
三度、放射性物質が、強いプルームがこのいわき市を流れているんですよね。一番強いときは二十三マイクロを超しているんですが、午前四時だったんです。雨が降らなかった、雪が降らなかった。たった一つ、それで私どもは今、東京や全国に散り散りに、ばらばらになっていない。飯舘村はここよりももっと遠いところまで、みんな、全村避難だ。それはたった一つ、そのときに雪が降った。それで我々は助かっただけだ。だから、全国民が、こういう事故があれば、いつ誰が塗炭の苦しみになるかは本当に天候一つだと。
こういうことを見ると、その最も過酷な被曝を受けた人たちに私らだっていつなるかわからない。その気持ちからみんなで考えないとうまくないということは言うんです。これだけで了解してもらうわけにはいかないと思うんですが。
そして、根底的には、やはり我々医療生協、協同組合は農協も何もみんな同じですが、スローガンは、一人はみんなのために、みんなは一人のために頑張ろう、手をとってやろうと。こういう協同精神というのは、私は、間違いなく全世界に広がっていますが、大きな、いい、金もうけでない観点から持ち得る大切な発信だと思いまして、今後もそういう努力は続けていきたいと思います。
○宮本委員 ありがとうございました。
小野公述人にお伺いする時間がなくなりました。お許しいただきたいと思います。
これで、私、終わらせていただきます。