平成二十五年一月二十四日(木曜日)
午後一時開議
出席委員
委員長 松野 博一君
理事 遠藤 利明君 理事 坂井 学君
理事 塩谷 立君 理事 永岡 桂子君
理事 馳 浩君 理事 笠 浩史君
理事 鈴木 望君 理事 浮島 智子君
あべ 俊子君 井上 貴博君
大島 理森君 岸 信夫君
坂本 剛二君 桜井 宏君
櫻田 義孝君 笹川 博義君
清水 誠一君 島田 佳和君
白石 徹君 白須賀貴樹君
新開 裕司君 新谷 正義君
助田 重義君 鈴木 馨祐君
高橋ひなこ君 中根 一幸君
湯川 一行君 泉 健太君
小川 淳也君 郡 和子君
中川 正春君 松本 剛明君
遠藤 敬君 椎木 保君
田沼 隆志君 中田 宏君
樋口 尚也君 青柳陽一郎君
井出 庸生君 宮本 岳志君
青木 愛君 吉川 元君
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文部科学大臣 下村 博文君
文部科学副大臣 谷川 弥一君
文部科学副大臣 福井 照君
財務大臣政務官 竹内 譲君
文部科学大臣政務官 丹羽 秀樹君
文部科学大臣政務官 義家 弘介君
政府参考人
(警察庁長官官房審議官) 辻 義之君
政府参考人
(総務省大臣官房審議官) 黒田武一郎君
政府参考人
(文部科学省大臣官房長) 前川 喜平君
政府参考人
(文部科学省初等中等教育局長) 布村 幸彦君
政府参考人
(文部科学省スポーツ・青少年局長) 久保 公人君
政府参考人
(文化庁次長) 河村 潤子君
文部科学委員会専門員 久留 正敏君
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委員の異動
一月十七日
辞任 補欠選任
枝野 幸男君 松本 剛明君
田嶋 要君 笠 浩史君
中根 康浩君 小川 淳也君
長妻 昭君 郡 和子君
若井 康彦君 中川 正春君
同月十八日
辞任 補欠選任
桜内 文城君 鈴木 望君
重徳 和彦君 遠藤 敬君
新原 秀人君 田沼 隆志君
同月二十二日
辞任 補欠選任
末吉 光徳君 中根 一幸君
同月二十四日
辞任 補欠選任
白石 徹君 湯川 一行君
鈴木 俊一君 高橋ひなこ君
松本 剛明君 泉 健太君
遠藤 敬君 中田 宏君
同日
辞任 補欠選任
高橋ひなこ君 鈴木 俊一君
湯川 一行君 井上 貴博君
泉 健太君 松本 剛明君
中田 宏君 遠藤 敬君
同日
辞任 補欠選任
井上 貴博君 白石 徹君
同日
理事田嶋要君同月十七日委員辞任につき、その補欠として笠浩史君が理事に当選した。
同日
理事桜内文城君同月十八日委員辞任につき、その補欠として鈴木望君が理事に当選した。
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平成二十四年十二月二十八日
一、文部科学行政の基本施策に関する件
二、生涯学習に関する件
三、学校教育に関する件
四、科学技術及び学術の振興に関する件
五、科学技術の研究開発に関する件
六、文化、スポーツ振興及び青少年に関する件
の閉会中審査を本委員会に付託された。
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本日の会議に付した案件
理事の補欠選任
政府参考人出頭要求に関する件
文部科学行政の基本施策に関する件(体罰による自殺事件を含む学校教育に関する諸問題等)
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○松野委員長 次に、宮本岳志君。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。
私からもまず、亡くなられた男子生徒の御冥福を心からお祈りし、御遺族に対しても心からのお悔やみを申し上げたいと思います。
子供たちの命を育むはずの教育現場で発生した今回の事件。子供の命を最優先にすべき学校には絶対にあってはならない事件だと思います。
大臣も十一日の記者会見で、いかなる場合にも体罰をしてはならない、こう述べられ、本日の答弁でも先ほど来繰り返しそう述べられております。
まず、確認いたしますが、この認識は万全なものだと理解してよろしいですね。
○下村国務大臣 教員等は、児童生徒への指導に当たりまして、いかなる場合にも体罰を行ってはならないものであります。また、部活動において、試合に勝つことや強くするために体罰を厳しい指導として正当化するようなことは誤った認識であり、ましてや、体罰により子供が命を落とすようなことは子供の命を預かる学校としてあってはならないことであると考えますし、ぜひこれを徹底していきたいと思います。
○宮本委員 言うまでもなく、児童生徒への指導に当たり、学校教育法十一条ただし書きに言う体罰はいかなる場合にも行ってはなりません。
ところが、既に明らかになっているように、今回の事案が起きた大阪市立桜宮高校では、バスケットボール部を初めとした部活動、授業時間内でも体罰が常態化をしていた、これは報道でもなされております。
文科省の調査では、体罰で処分された教員が二〇一一年度で四百四名、うち部活動での体罰は百八人、過去五年間ほどさかのぼっても、大体四百人前後が処分され、部活動においても八十から百名近い教員が処分をされております。
そこで、これも大臣にお伺いするんですが、なぜ体罰が根絶されない、こうお考えになりますか。
○下村国務大臣 体罰は法律違反である以上、命にかかわる深刻な問題であり、いかなる場合にも許されないものであるわけでありますが、にもかかわらず、これだけの処分を含め、体罰がなぜ根絶されないのかということでございます。
毎年多くの教員が体罰による処分を受けている、これは、学校や教育委員会における体罰の調査や対応のあり方、また部活動において試合に勝つことや強くするために体罰を厳しい指導として正当化するような誤った認識があるなど、いろいろと課題があるというふうに考えております。
昨日、改めて体罰の禁止の徹底と実態把握についての通知を発出したところであり、改めてこの指導を徹底してまいりたいと思います。
○宮本委員 運動部に体罰はつきものなどという間違った考え方がございます。そもそも、運動部活動と体罰は絶対に相入れない関係にあるはずのものだと私は思うんですね。
全国高等学校体育連盟は、一月の十八日付で、「運動部活動における体罰根絶に向けて」という通知を出しました。指導者みずからが運動部活動の中で体罰を行い、それも常態化していたということに及んでは、まさに言語道断であると言わざるを得ません。こう指摘した上で、いま一度あるべき教育の原点に立ち戻り、体罰根絶に向けた取り組みを呼びかけております。
また、実際に運動部活動にかかわる方々からも今声が上がっております。沖縄の興南高校野球部の我喜屋優監督は、指導者は感情が先走ってはいけない、言い聞かせることが大切、殴り聞かせるという言葉はない、こう語っておられます。また、帝京中学・高校ラグビー部の嶋崎雅規顧問は、部活動はあくまで生徒のためのもので彼らが楽しいと思って取り組むもの、その根本を見詰め直せば体罰はもちろん部活動の進め方も改めるべき、大人が勝ちたい、結果を出したいと思い始めるからおかしくなる、子供たちが勝ちたいと思って大人たちが応援するのが本来の形と語っておられます。
そもそも、我々が一昨年に成立させたスポーツ基本法では、スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは国民の権利であると明記をいたしました。これはスポーツ・青少年局にお伺いいたしますが、運動部活動における体罰などというものは、学校教育活動の一環という点からももちろん許されないわけですが、スポーツ基本法が定めたスポーツの基本理念に照らしても絶対に許されるものではない、私はそう思いますが、そういう認識はございますか。
○久保政府参考人 先生御指摘のとおり、スポーツ基本法二条におきましても、今おっしゃられた、幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利であること、さらに、二条の二項では、「青少年のスポーツが、体力を向上させ、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培う等人格の形成に大きな影響を及ぼすものであり、国民の生涯にわたる健全な心と身体を培い、豊かな人間性を育む基礎となるものである」などと規定されておりまして、これらの規定からも、御指摘のとおり、運動部活動における体罰は決して許されるものではないと考えているところでございます。
○宮本委員 当然のことだと思うんですね。
昨日、文部科学省は、「体罰禁止の徹底及び体罰に係る実態把握について」という、この通知を発出いたしました。二月の二十八日までに第一次報告、四月の三十日までに第二次報告をとって、体罰の状況などを掌握するとしております。体罰の実態を把握し、体罰禁止の周知徹底を図ることは当然のことでありますけれども、しかし、掌握して、体罰を行った教員等を処分するだけでは根本的な解決にはなりません。繰り返し体罰禁止の徹底を叫ばれながら、一体どこに問題の根があるのかをきちんと解明して、これに対処する必要があると思うんですね。
そこで、私は、興味深い調査研究結果を二つ御紹介したいと思うんです。
これは、奈良教育大学の高橋豪仁教授と株式会社ネオキャリアの久米田恵氏が共同で行った、「学校運動部活動における体罰に関する調査研究」というものであります。
この研究では、奈良教育大学の学生を対象に質問紙調査を実施して、中学、高校の運動部活動を想起、思い返すやり方で、体罰についての実態を明らかにするとともに、学生らの体罰についての是非の意識、体罰を容認するかしないかの是非の意識が何によって規定されるのかを検討しております。
その結果、男子学生の方が女子学生よりも体罰が必要であると答える割合が大きく、また、体罰を経験したことがある者は体罰を必要である、よいことであると肯定的に捉える傾向が強いことが明らかとなり、体罰経験が体罰を再生産する可能性がある、こういう調査結果が示唆されております。
これもスポーツ・青少年局でいいんですが、この調査研究に示された、体罰経験が体罰を再生産する可能性について、承知しておりますか。
○久保政府参考人 この高橋教授等の論文につきましては、昨日、先生からいただいた内容を確認させていただいたところでございます。したがいまして、それまでは具体的なデータについて承知しておったわけではございません。
○宮本委員 この研究では、調査結果を踏まえて、体罰の消極的容認ということについて論じているんですね。
体罰の善悪を問えば、否定的に答えた者が約九五%だった、善悪を問えば。否定的な答えが九五%だった。しかしながら、完全否定する者は全体の約半分にとどまった。こういう結果を引いて、本研究の調査対象者は奈良教育大学の学生であり、大半が教員志望である、体罰にはさまざまな問題があり、学校教育法で明確に禁止されているにもかかわらず、学校運動部活動における体罰を完全に否定する者が全体の半数にとどまっているのは大きな問題だ、これから教員になろうとする者がその程度の認識であるのは大きな問題だ、これはそういうふうに指摘をしております。
もう一つは、この「中学校・高等学校の運動部活動における体罰」と題した冨江英俊関西学院大学准教授の調査研究であります。
同じような調査を冨江さんも行っているわけですけれども、この調査では、運動部の雰囲気と体罰経験との関連を調査して、中学、高校とも非常にはっきりした相関関係があらわれた、それは、勝利至上主義、根性主義が強い、民主的でない運動部ほど体罰が行われる率が高いと指摘をしております。
先ほどの奈良教育大の研究、それからこの冨江英俊氏の研究成果なども踏まえて、教員養成教育、とりわけ体育教員の養成教育に、体罰を一切容認しない、消極的容認というようなことも断じて認められないということや、やはり運動部活動の民主的なあり方についてきちっと位置づけて教員養成に当たる必要があると私は思うんですが、大臣の所見をお伺いしたいと思います。
○下村国務大臣 宮本委員のお話をお聞きしていまして、連鎖ということで、DVもそうだということを聞いたことがあります。親が子に対して暴力を振るうと、その親自身が子供のころ暴力を受けていた経験、体験率が高いのと同じことかなというふうに、お聞きして思っておりました。
しかし、体罰そのものは悪いと認識しているわけでありますから、ぜひ、これを機会に改めて、体育の場においても徹底した意識改革をそれぞれの教員養成の大学においても徹底していただきたいと、改めて今委員のお話を聞いて感じているところでございます。
○宮本委員 おっしゃるとおりで、その連鎖というものを断ち切るのは、今まさにここで断ち切らなければ、連鎖があるから仕方がないという話じゃないわけであって、その点でも、この体罰の消極的容認論、つまり、強くするためには体罰は必要とか、運動部活動に体罰はつきものとか、こういうような認識が学校現場やあるいは場合によっては首長などの中にも根強く残っていることがやはり問題だと思うんですね。
例えば、橋下徹大阪市長は、一月十二日の午後、被害生徒宅を訪れ両親と面会するまでは、口で言って聞かなければ手を出すときもあるなどと公言し、スポーツの指導で頭をたたかれたり尻を蹴られたりすることは普通にあると思っていたと語っておられます。遺族と会って、認識が甘かったと、これは認識を改められました。
まず文部科学省に確認いたしますけれども、口で言って聞かなければ手を出すこともあるんだとか、スポーツの指導で体罰はあり得るという認識は、これは間違っておりますね。
○久保政府参考人 運動部活動におきまして、試合に勝つ、あるいは強くなるために体罰は厳しい指導として必要だとか、正当化するような考え方は、誤った認識であると考えております。
○宮本委員 ところが、大阪市長でさえ、十二日には間違った認識を改めて、十四日の成人式では部活での体罰禁止を徹底すると表明したにもかかわらず、十五日になってもまだ、強くなるために部活での体罰は一定あるなどと発言し、あり得る体罰とそうじゃない体罰の線引きが必要などと発言した者がおります。義家政務官、それはあなたですよ。
十五日、大阪市教委との意見交換後、部活の体罰に線引きをと語ったと夕刊紙、読売でも毎日でも報じられておりますけれども、これは事実ですね。
○義家大臣政務官 事実でございます。
○宮本委員 しかし、その認識は、今、全く間違っているということを文科省も答えられました。大臣も冒頭に答えられました。これは全く不適切な発言で、撤回すべきじゃないですか。
○義家大臣政務官 若干、発言を断片的に捉まえている部分があると思いますけれども、私が言ったことというのは、まず、大前提として、学校教育法第十一条に定められている体罰つまり有形力の行使、あるいは通達で出ている、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒はそもそも禁止されているという前提で、懲戒としての指導の中で体罰に含まれる部分と含まれない部分、有形力の行使、体罰はまず前提として禁止であるといった上で、部活動の懲戒としての指導、あるいは指導と名した懲戒の中で、ここまでは体罰に当たるのではないか、これはやり過ぎではないか、このぐらいはやらなければ部活が強くならないのではないか、そういった線引きの議論を行うべきであろうというのは、現場の教師から、今も連日、私のもとに相談のメール等々が来ています。大きな声で怒っただけで体罰になっちゃうならば我々はなかなか指導ができないというような、現場の切実な思いも実は届いているわけですね。
だからこそ、こういった部活動の指導でどのようなことが問題として想定し得るか、これは具体的に考えねばならないという趣旨で発言いたしました。
○宮本委員 問題をまぜ返しちゃだめなんですよ。
もちろん、ある行為が体罰に当たるかどうかという議論はあるでしょう。やられてきたことはわかっていますよ。体罰に、あっていい体罰があるという議論はないんですよ。体罰はだめだとはっきりしているんですよ。
ところが、あなたがおっしゃったのは、あり得る体罰とあってはならない体罰と線を引くんだとおっしゃったから、「部活の体罰 線引きを」というこんな見出しが新聞に躍るわけですね。
これは間違いだ、これについては撤回する。いいですね。
○義家大臣政務官 お答えいたします。
正確に改めて申しますと、あり得る懲戒的指導と、そして、体罰の範疇に入る懲戒的指導ははっきりと分けなければならない、そういうふうに改めて言及させていただきます。
○宮本委員 私がこれにこだわるのはなぜかといいますと、要するに、体罰というものが今日横行している大もとに、少しぐらいの体罰だったらという消極的容認論というのはやはりあるわけなんですね。
現に、今回の桜宮高校のバスケット部顧問も、昨年十二月二十八日の市教委での聞き取り調査に対して、強いクラブにするには体罰は必要と答えた、気持ちを発奮させたいがためにそうしたなどと答えております。さらには、たたくことでよい方向に向く生徒もいた、中には、たたくことでよかった例もあるんだとまで答えたと報じられている。
そういう実態があるときに、文部科学政務官が、あり得る体罰とそうでない体罰の線引きが必要というふうに発言したと報じられれば、体罰の中にはあり得るものもあるのかという誤解を生むからこそ、これが消極的容認論を是正するどころか広げる結果になる、だから致命傷だ、この言葉は間違いだということを繰り返し申し上げているんですね。そういう結果を生むことになるという御認識は、義家さん、お持ちですか。
○義家大臣政務官 この議論は、やはり私はきちっと行うべきことであろうと思っていますが、例えば有形力行使についての体罰、この問題について、教育委員会で判断し得るケースと、これは絶対に警察の問題なんだということで判断し得るケース、そこもやはり分かれると思います。
教育現場にいるときに、例えば、金八先生の中でもびんたしたような映像がありまして、非常に名物シーンとなっていますが、もちろん、そのびんたという行為は体罰なんです。許されることではないんです。しかし、それが上がっていったときに、そのケースのときにどうだったかというふうに教育委員会で議論する範疇の問題と、日常的、継続的に行っている暴力の問題とは、全くかけ離れたものであろうと私は思っているんですね。
今回の事件に関しては、私は、これもぶら下がりで言ったとおり、日常的、継続的に行われていた精神的、身体的暴力である、そういう定義の中で、教育委員会で議論するというよりも、しっかりと警察と連携し、そして、警察も情報を出さなければ、当時の時点ではなかなか動きづらい、動けないような状況にありましたので、そういう指導をしたところでございます。
○宮本委員 今回の事例はそんな話と関係ないんですよ。あなたが言うとおりだ。そんな、別に懲戒の話じゃないんですよ。そうでしょう。にもかかわらず、強くするために体罰は一定あり得る、そんな発言をするから問題だと言っているんじゃないですか。そんなことで政務官が務まりますか。それは絶対、そういう発言は撤回すべきだと申し上げておきたいと思います。
今回のような不幸な事件を二度と繰り返さないためには、体罰の線引きなどではなく、教育現場からいかなる場合においても暴力である体罰は一掃すること、運動部の運営も教師集団のあり方も何よりも民主的でなければならないことを強調して、私の質問を終わります。