平成二十四年八月二十四日(金曜日)
午前九時開議
出席委員
委員長 石毛えい子君
理事 金森 正君 理事 田島 一成君
理事 永江 孝子君 理事 松本 大輔君
理事 馳 浩君 理事 松野 博一君
理事 松崎 哲久君 理事 池坊 保子君
石井登志郎君 石津 政雄君
磯谷香代子君 大西 健介君
奥村 展三君 川口 浩君
城井 崇君 工藤 仁美君
桑原 功君 斉木 武志君
杉本かずみ君 高井 美穂君
高野 守君 高橋 昭一君
橘 秀徳君 道休誠一郎君
中屋 大介君 福島 伸享君
福田 昭夫君 松岡 広隆君
向山 好一君 室井 秀子君
本村賢太郎君 湯原 俊二君
和嶋 未希君 あべ 俊子君
甘利 明君 遠藤 利明君
河村 建夫君 下村 博文君
田野瀬良太郎君 永岡 桂子君
古屋 圭司君 石原洋三郎君
大山 昌宏君 加藤 学君
三輪 信昭君 富田 茂之君
宮本 岳志君 土肥 隆一君
…………………………………
文部科学大臣 平野 博文君
文部科学副大臣 奥村 展三君
文部科学副大臣 高井 美穂君
経済産業副大臣 柳澤 光美君
文部科学大臣政務官 城井 崇君
政府参考人
(総務省総合通信基盤局電気通信事業部長) 安藤 友裕君
政府参考人
(法務省矯正局長) 三浦 守君
政府参考人
(外務省大臣官房参事官) 新美 潤君
政府参考人
(外務省欧州局長) 小寺 次郎君
政府参考人
(文部科学省初等中等教育局長) 布村 幸彦君
政府参考人
(文部科学省高等教育局私学部長) 小松親次郎君
政府参考人
(文部科学省科学技術・学術政策局長) 土屋 定之君
政府参考人
(文部科学省研究開発局長) 戸谷 一夫君
政府参考人
(文部科学省スポーツ・青少年局長) 久保 公人君
政府参考人
(厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長) 岡田 太造君
参考人
(独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長) 河野 一郎君
文部科学委員会専門員 佐々木 努君
―――――――――――――
委員の異動
七月四日
辞任 補欠選任
村上 史好君 長安 豊君
同月六日
辞任 補欠選任
笹木 竜三君 桑原 功君
長安 豊君 斉木 武志君
笠 浩史君 福田 昭夫君
岡本 英子君 松崎 哲久君
瑞慶覧長敏君 樋高 剛君
同月十八日
辞任 補欠選任
樋高 剛君 加藤 学君
八月二十四日
辞任 補欠選任
石井登志郎君 大西 健介君
桑原 功君 湯原 俊二君
本村賢太郎君 松岡 広隆君
山岡 達丸君 道休誠一郎君
同日
辞任 補欠選任
大西 健介君 向山 好一君
道休誠一郎君 福島 伸享君
松岡 広隆君 橘 秀徳君
湯原 俊二君 桑原 功君
同日
辞任 補欠選任
橘 秀徳君 本村賢太郎君
福島 伸享君 工藤 仁美君
向山 好一君 石井登志郎君
同日
辞任 補欠選任
工藤 仁美君 石津 政雄君
同日
辞任 補欠選任
石津 政雄君 磯谷香代子君
同日
辞任 補欠選任
磯谷香代子君 山岡 達丸君
同日
松崎哲久君が理事に当選した。
―――――――――――――
七月十日
教育費負担の公私間格差をなくし、子供たちに行き届いた教育を求めることに関する請願(第二三九号)は「高邑勉君紹介」を「高橋昭一君紹介」に訂正された。
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
理事の補欠選任
政府参考人出頭要求に関する件
参考人出頭要求に関する件
文部科学行政の基本施策に関する件
古典の日に関する法律案起草の件
――――◇―――――
○石毛委員長 次に、宮本岳志委員。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。
法案発議者にお伺いをいたします。
我が国の文化的所産である古典に親しみ、学ぶ機会が整備されることは大いに意義あることだと思います。しかし、古典も含めて、国民一人一人が何を学ぶか、何を心のよりどころとするかは、本来、個々人の思想、信条の自由に属する事柄であり、国が押しつけることは許されません。
本法案第一条には、国民の「心のよりどころとして古典を広く根づかせ、」という文言がありますが、これは国民の内心の自由に踏み込むといった趣旨ではないと考えますが、よろしいでしょうか。
○馳委員 おはようございます。
宮本さん、内心の自由に踏み込んだり制約するという考えは全く持っておりません。むしろ、内心の自由をより深めるための教養や知識を身につけるためにも、より古典に親しんでいただき、理解をいただければありがたいと存じます。
以上です。
○宮本委員 法案は、第二条で、古典の定義を与えています。ここには「我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったもの」という規定がありますが、ここには北海道のアイヌ独自の民族文化や沖縄県独自の文化を初め地方に伝わるさまざまな古典や、外国から入ってきて我が国で継承されてきたものも含むと理解してよろしいですね。
○馳委員 我が国ゆかりのというふうな意味で御理解をいただければ結構であります。
○宮本委員 そもそも、身近なところに古典を含む文化芸術に親しむ環境が整備されておらず、国民にとって、古典に親しみ、学ぶ機会自体が限られているのが現状です。また、私の地元大阪などでは、文楽など古典芸能への補助金を打ち切ったり、オーケストラの予算を削減するような動きもあります。
この法律の制定を契機に、予算措置を含めて、古典を含む文化や芸術に親しむ条件を広げ、環境整備を具体的に進めるべきだと考えますが、法案発議者の御決意を賜りたいと思います。
○馳委員 同感であります。大阪の事例は、それは大阪市長さんの最終的な判断ではありますが、私はやはり残念に思います。なかなか民間で整備できるものではありません。図書館や、そういった文化芸術等を披瀝する場所、またその人材の育成といったものは、この法案を契機に、より一層広く国民の御理解をいただいて進められていくことがふさわしいというふうに考えております。
○宮本委員 以上で発言を終わります。ありがとうございました。
○石毛委員長 次に、宮本岳志委員。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。
昨年十月、大津市立中学校に通っていた中学二年生の生徒が自殺をいたしました。その後、自殺の背景に深刻ないじめがあったことが明らかになりました。御遺族の悲しみの深さははかり知れません。改めて、亡くなられたこの御子息と御遺族の皆様に心からの哀悼の意を表したいと思います。
今回の一連の出来事に、多くの国民が十三歳のとうとい命が失われたことを悲しみ、学校や教育委員会の対応に少なくない不満や批判を抱いている、これは当然のことだと思うんです。学校はいじめをいじめと把握していなかった。生徒の自殺後の全校生徒アンケートで、お金をとられていた、自殺の練習などの記述があったにもかかわらず、教育委員会は、いじめはあったが自殺との因果関係は不明などとして調査を打ち切ってしまいました。警察も、三度の父親の訴えをまともに扱いませんでした。いずれも、弁明できるものではありません。
学校や教育行政は子供のために存在するものであり、そこでは子供の命が一番のはずです。その場でいじめが見抜けなかったことは重大な問題であり、国民の、学校や教育委員会への対応に対する批判は当然だと言わなければなりません。
私は、八月三日の青少年問題特別委員会の質疑でも、二〇〇六年十月十一日に起こった福岡県の中学二年生、森啓祐君のいじめ自殺事件を取り上げて、なぜ同じような事件が繰り返されるのか、その原因について質問をいたしました。今回改めて、啓祐君の親御さんがお書きになった、「啓祐、君を忘れない いじめ自殺の根絶を求めて」を読み返してみて、いじめをいじめとして認識できない学校、それから、生徒へのアンケート結果を見せない、隠蔽しようとするその体質、このときと本当にうり二つなんですよ。
御両親はこの本の後書きで、このような悲劇を二度と起こしてはいけない、今生きている子供たちを加害者、被害者にしてはいけないと心から思うからですと述べられております。しかし、その御両親の思いは裏切られました。再び被害者と加害者を生み出してしまったわけです。しかも、ほとんど同じ構図で再び生み出してしまった。
大臣、これを一体どうお受けとめになるか、まず大臣の御所見をお伺いいたします。
○平野(博)国務大臣 きょうの御議論、さらには青少年特での御議論で、特にいじめが繰り返されている、こういうことでございます。
今議員御指摘のように、子供がみずからの命を絶つという、このことはやはりあってはならない、私はそういうふうに思っておりますし、その背景をしっかりとつかむ、そのことによって二度といじめ自殺にならないように、いじめを繰り返さないように、こういうことが大事であります。しかしながら、今回、今御指摘の大津の案件については極めて私は遺憾であり、重く受けとめております。
その上で、文科省としては、平成十八年にも、いじめが背景にある自殺が相次いだということも事実でございますし、そのときに、いじめ問題への取り組みを徹底するということで通知を出したことも事実でございまして、特に、学級担任等の特定の教員がこの問題を抱えるということではなくて、その兆候があれば、学校全体並びに教育委員会、地域含めてそれに向けて解決するという姿勢が大事であろうというふうに思っております。
また、速やかに、いじめを掌握した場合には保護者並びに教育委員会に報告をし、適切に連携を図る。なぜか知りませんが、みずからそういう連携を図ろうとすると、おまえ、それで対処できないのかみたいな評価につながるような風潮があるようにも聞きますから、これは違うんだ、要は解決することの方が大事なんだ、こういう視点で連携を図ってもらいたい、こういうふうに思っていることであります。
委員御指摘の、少なくとも隠蔽をするということはあってはならないというふうに思っています。今回、この問題を私は一つの重大な問題として、文科省、私の直轄のもとに対策室を設置し、午前中の御議論もいただきましたが、絵に描いた餅にならないようにこの問題については対処したい、このように思っております。
○宮本委員 先ほど指摘をした福岡の森啓祐君の事件、同時期に大問題となりました北海道滝川市の小学生いじめ自殺事件、これを受けて、十月の三十日に、二〇〇六年ですけれども、我が党の志位委員長が、これらの事件を踏まえて国会質問を行いました。その当時、安倍晋三首相の答弁は、今後、規範意識をしっかり身につけさせるというものでありました。それに対して、志位委員長は、「いじめがどうして起こるか、それは道徳心の問題などだけで説明がつく問題ではない」と指摘をしたわけであります。ここが非常に大事な点だと私は思うんですね。
それで、今回の事件が起こった大津市の当該中学校は、平成二十一年度、二十二年度と、文部科学省の道徳教育実践研究事業の指定校であったと聞いておりますが、文部科学省、間違いないですね。
○布村政府参考人 お答えいたします。
今回の該当する中学校は、滋賀県の教育委員会の推薦を受けまして、平成二十一年度、二十二年度の二年間、文部科学省の道徳教育実践研究事業の推進校の指定を受けていたことは事実でございます。
その研究テーマにつきましては、「自ら光り輝く生徒を求めて 心に響く道徳教育の実践」というテーマを掲げておられました。
○宮本委員 当該中学校は、昨年の三月末まで文科省の道徳教育実践研究事業の指定校でありました。滋賀県で六つの学校が指定されておりましたが、中学校はこの学校だけ。滋賀県で最も文科省流の道徳教育に力を入れてきた、いわば文科省お墨つきの中学校でありました。
ここに、昨年二月に発表された研究のまとめがございます。私もざっと中身を読ませていただきました。きょうは、皆様方のところに資料一として、冒頭の「はじめに」という校長の文章をつけておきました。
校長は、「平成二十一・二十二年度の二カ年にわたり、文部科学省「道徳教育実践研究事業」の推進校指定を受けることになり、本校の教育推進において、この上もない研修・研究の機会を与えられたことに深く感謝しております。」と述べた上で、「「自ら光り輝く生徒を求めて」という校内研究テーマのもと「心に響く道徳教育の実践」をサブテーマに「豊かな心、思いやりの心を育てる」、「規範意識を高め、正しい判断力を培う」を道徳教育の目標に掲げ、研究を進めてきました。」と述べております。
確認いたしますけれども、今回の事件の被害者となった生徒、そして加害者となった生徒も、平成二十二年度はこの学校の一年生として、この道徳教育実践研究事業の対象になっておりましたね。
○布村政府参考人 先生御指摘の中学校につきまして、平成二十二年度にも道徳教育実践研究事業の推進校の指定を受けていたということになります。
そして、当該中学校では、道徳の公開授業、校内研修会、外部講師招聘、保護者アンケートなどに取り組んでおられますので、全校を対象とした取り組みという形になっておりますので、当該生徒についても、本事業の対象になっていた生徒だろうと思います。
○宮本委員 この中学校での道徳教育実践研究事業は、研究の歩みを見ますと、平成二十三年二月三日に第十回道徳教育校内研究会というものを行って、一年生の授業の公開を行っております。
この公開授業の「第一学年 道徳学習指導案」というものを資料の二につけておりますけれども、この資料二の道徳学習指導案を見ますと、主題は「きまりの意義」。つまり、ずばり規範意識の問題をテーマにして公開授業をやった。この事業が昨年三月末で終わったわずか半年後に、まさに一年生としてその授業を受けた子供たちによって、今回の深刻ないじめが起こったということになります。
大臣、いじめというものが、志位委員長が指摘したように、規範意識などだけで説明がつく問題ではない、このことがいよいよ、私はこのことからもはっきりしたと思うんですが、そうじゃないでしょうか。
○平野(博)国務大臣 今の、道徳教育のモデル指定を受けてやっておられた学校で、それが終わりますとこういう案件が起こったということについては、大変私は遺憾に思います。
逆に言いますと、文科省が進めている施策が、本当に事務的に形だけを指定して、中身がしっかりと成果として出てこない、こんな事業をやっているのではないかというふうにも捉えられるわけでございますので、私は、改めて、こういう事業について、本当に実りある、成果が出るような部分にしなきゃなりませんし、今回たまたま起こったことなのかどうかは別にいたしまして、やはりしっかり成果が刈り取れる、そういう事業をしていかなきゃならないとみずから反省をいたしておるところでございます。
○宮本委員 もちろん、私たちも、道徳教育が必要ないと言っているわけじゃないんです。規範意識の強調だけでは解決しない。
それで、私は、現場の教員からも学校現場のリアルな状況を聞いてきたんですね。ある中学校の現職の教員は、深刻ないじめほど、説諭、つまり規範意識の説教では解決しない、こうおっしゃっておりました。いじめが起こったときに、いじめはいけない、やめなさいと時間をかけて説諭して、わかりました、やめますといじめる子がそう言っても、翌日同じように、あるいは、より巧妙な形でいじめをしている、だから説諭は無力だとその方は語っておられました。
文部科学省に聞きますけれども、そういう現場の状況を理解しておられるか、そして、あわせて、なぜ現場の先生方は説諭ではうまくいかない、こうおっしゃっているか、おわかりになりますか。
○布村政府参考人 お答えいたします。
基本的に、生徒指導につきましては、児童生徒の一人一人をよく理解することから始まる、そこが基本になろうかと教員の方々も認識されておると思います。いじめにつきましても、だめなことはだめと厳格に指導するという面とともに、いじめの問題における子供への指導におきましても、児童生徒一人一人の悩みを理解し、共感的に受けとめ、応えていくということが重要であろうと、先生方の認識になっていると思います。
○宮本委員 そのとおりなんですね。一人一人の子供のやはり内面というのが大事なんです。
この先生によると、幾ら理屈で理解しても、いじめを繰り返さざるを得ないような深刻な心の傷を負っている場合が多い。それで、その少年の場合は、家庭でいじめのような大変な目に親から遭っていた、そのうっくつした気持ちが執拗ないじめとしてあらわれていたことが、この一カ月単位の大変な調査の中でやっとわかったというんですね。他の事例では、勝ち組になれという異様な競争教育の圧力などももちろんあります。そういう子供のことを理解して、おまえもつらかったんだという一言が言えるかどうか、あるいは、その子供の心をねじれさせている環境の改善に着手できるかどうかが、最終的にいじめをやめさせ、その子供のねじれた心を解きほぐし、人間として立ち直らせる鍵だとおっしゃっていました。
また、先ほどの先生は、長年の経験から、力の指導でいじめを一時とめても、より陰湿になるだけで逆効果だと語られておりました。
いじめる子供の内面を深くつかむことが必要だと私は思いますけれども、これも文部科学省、そういうことでよろしいでしょうか。
○布村政府参考人 今先生御指摘のとおり、いじめの問題の解決におきましては、一人一人の児童生徒の心、心理の把握が重要な課題ということで、そのためには、教員がカウンセリングマインドを持って、またあるいは、スクールカウンセラーの活用などによりまして、日ごろから児童生徒の悩みや要望をしっかりと受けとめ、応えていくことが必要であるということだろうと思います。
また、大人の立場から一方的な指導という形になってしまうことは、児童生徒の悩みや要望に寄り添ったということにはならない、あるいは、いじめの問題の解決が困難になるという面はあろうかと思います。
○宮本委員 子供の内面をつかむということ、これは言葉で言えば簡単なんですが、簡単な話じゃないですね。
大津の事件では、被害者のことでも問われました。学校側もいじめだと最終的には認定した十月五日のトイレでの暴行でありますけれども、いじめ被害者は、大丈夫、いじめではない、こう口にしたと。それで、いじめではなくけんかだと両成敗にしてしまったわけです。
しかし、いじめ被害者がいじめを認めないということは、いじめ臨床でいえばイロハに属する問題であります。よく被害者は、深刻ないじめほど笑いながら殴られている、こういう状況もあります。
しかも、大津の場合、既に四十万円以上の多額の現金を被害者が親族宅や自分名義の通帳から引き出すなどしていた問題も学校はつかんでいたやさきのことなんですね。
ですから、上辺だけの説諭ではなく、子供の深い理解が本当に必要になっている。これはもう異論のないところだと思います。
ただ、その子供を理解するための時間がどんどん奪われているのが今の学校現場だという訴えがあるわけですよ。スクールカウンセラーなどの専門家、もちろんそういう方々もありがたいことでありますけれども、まず何よりも、学校の先生方がしっかり子供の内面をつかめるようにしなければなりません。
先ほどの先生は、以前なら、こういう問題が起きたら、学年会を開き、教師全員で真剣に話し合う時間があった、ところが最近は、授業時間がぎりぎりまでふえ、時間をとって話し合うことができなくなったと言っておられます。各種の会議や事務仕事もふえ、職員室は子供のことを話し合う情報交換や話し合いの場でなくなり、ひたすらばらばらにパソコンに向かう作業場になっている。こういう言葉まで現場の先生からは出ているんですね。
それで、学校評価、教員評価が入り、学力テストの平均点を上げることと進学実績を高めることなど、数字にすぐ出ることばかり評価され、気になる子供のことにじっくり時間をかけることが何か悪いことをしているように見られるとも訴えておられました。
大臣、今回のこの事件を契機に、やはりいじめへの対応を、敏感に対応すべきだ、迅速につかむべきだ、これはもうおっしゃるとおりなんですけれども、その感度を鈍らせている要素として、こういう異常な多忙化の問題、それから、学校評価、教員評価の問題を抜本的に見直すべきだと私は思うんですけれども、いかがですか。
○平野(博)国務大臣 委員御指摘のところは当たっている部分があると思いますが、逆に、そういう評価をしているということではないと思います。物理的な部分で、やはり教員が子供に向き合う時間をもっと多くとることが、よりそういう兆候を見抜けていくということは、僕は事実だと思います。
そういう中で、少しこの数字で、小学校、中学校の教員の残業時間というメジャーでとってみますと、昭和四十一年は一カ月の残業が大体八時間ぐらい、平成十八年には四十二時間になっている。こういう状況から考えますと、宮本議員の指摘も、一面、私は指摘されることだと思っております。
したがいまして、文科省としては、ただ、学校教員だけで直接子供が先生に相談するというのはなかなか難しいかもわかりませんが、斜めから横から、やはりこういうふうに対応でき得るスクールカウンセラーでありますとか、あるいはボランティアの方々が気さくに話せる環境とか、そういうところをつくっていかなきゃならないと思っていますし、事務の改善、さらには教員定数の改善を図ることによって、もっと教員が子供と向き合う時間を確保できるような環境づくりは文科省としても考えていかなきゃならない、かように思います。
○宮本委員 十月五日に、先ほど申し上げた、トイレで二度目の暴行を受けたと。このときは、さすがに職員が集まって、教員が集まった会議が持たれているんですね。もちろん、さまざまな向こうからのシグナルを受けとめる、キャッチするということは大事ですけれども、やはり何よりも教員が集団でじっくり検討するという時間が必要だと思うんです。
ちなみに、文科省、結局けんかということで結論を出してしまったこのときの打ち合わせ会議、どれぐらいの時間をかけたか、つかんでおりますか。
○布村政府参考人 今先生御指摘の十月五日の件につきまして、簡単に経過を御報告いたします。
午後二時十五分ごろ、クラスの生徒からトイレでいじめられているという連絡があり、担任が駆けつけた段階ではその騒動は終わっていた。その後、帰りの会で当事者の加害者側の生徒を残して事実確認と指導をし、両者は謝罪をした。また、三時過ぎになりますけれども、被害を受けた生徒に事情を確認したところ、大丈夫、友達でいたいという回答を得た。その後、担任、学年主任、生徒主事が集まって協議をして保護者の方に事情を説明し、先生御指摘の夕方の第二学年の教員団の先生方の情報共有のための打ち合わせはおよそ三十分ぐらいであった、そしていじめにつながる可能性のあるけんかとして引き続き注意深く見守っていこうということを打ち合わせられ、共有したというふうに伺っております。
○宮本委員 学年主任などが最初に打ち合わせたのはわずか十五分ですよ。三十分というのは事実上の報告、けんかということでしたということになっていると思うんですね。十五分で何がわかるか。しかも、全員で話し合ったわけでもないんですね。こういう状況を改善しないと、幾ら感度を上げようとかいったって、これは現実に子供たちを守ることはできない。学校システムをしっかり見直すべきだということは申し上げておきたいと思います。
それで、私は、文科省の方針をいろいろ見せていただいても、決定的に欠けているものがあると思っております。それは、子供たち自身の取り組みを促すことだと思うんですね。
先日、神戸市で開催されたある民間の教育研究集会で、いじり、つまり冷やかしですけれども、いじりといじめの見分けは難しいとか、いじりはいじめの芽ではないかという教員たちの議論に、実は一人の私立高校生が割って入って、次のように発言をいたしました。
冷やかしとかという問題については、そういうことを自分たちもしている立場なんですけれども、そういうのをしないとコミュニケーションがとれない状況に今あることを知ってもらいたいなと思いました、確かにいじめの芽の可能性もあるけれども、本人たちは単に楽しんでいる場合もあるというか、話をもっと難しくしちゃうかなと思う、いろいろ大人の方たちが、子供はどういうふうに思っているのか、考えているのかというのを議論するのもすごく重要なことだと思うし、いじめの芽を見つけるとかも重要だと思うんですけれども、自分としては、きちんと子供自身でそういう問題に取り組んでいく、考えていくことをやったら、いじめというものは減っていくんじゃないかという思いがあります。
これは高校生自身の発言で、その場にいた人たちは、いじりといじめをどう区別するかとか、区別がつくのかつかぬのかとかと言うているときに、いや、私たちが一番わかっていますよ、私たちで話し合わせてくれという声が出たというんですね。非常に僕は大事な問題提起だと思います。
このクラスは毎週班長会を開き、仲間外れにされている子供をどうやって支えるかを話し合い、具体的な手だてを打っております。いじめのことは子供自身が一番よく知っているんです。本来、どの子供も正義感や人への思いやりを持っているし、いじめをなくしたいと思っています。その子供自身の取り組みを促すことは、子供同士で相互の信頼と連帯感が深まることになり、いじめの克服にとって極めて重要だと思うんですね。あらゆる場で子供の発言を保障し、クラスや児童会、生徒会などで議論を深めていくことがとりわけ重要だと私は思いますけれども、これは大臣の御見解をお伺いいたします。
○平野(博)国務大臣 子供同士が自主的に物事を解決する、こういういわゆる子供自治、これは非常に大事な視点だと思っています。その代表事例が生徒会、こういうことになっていくんだろうと思います。
いじめの中には、これは私自身の持っている印象ですが、いじめる人、いじめられる人、それをずっと見ている人、こういう三つの体系になるんだろうと思います。見ている人が、私はいじめられていないからずっとそれを見てみましょうということになりますと、いじめる方といじめられている方がよりエキサイトするんですね。したがって、全体で、トータルでいじめはだめなんだというようなことをしっかりと子供同士で議論する、こういう考え方は非常に大事な視点だ、このように私は思っております。
私、先日でございますが、全国生徒会サミットというのがありまして、岩手でありました。そこへ行ってまいりまして、私は先生と同じ大阪ですから、大阪の乗りで、いじめていないか、いじめられていないかということを申し上げましたら笑っておられましたけれども、やはり、そういう皆さん方が一緒にこの問題を解決していく、子供同士でも解決する、こんな環境ができるようなことは、私もしっかり受けとめて支援をしてまいりたい、こういうふうに思います。
○宮本委員 積極的な御答弁でありましたけれども、やはり、取り組むに当たっては、議論を中途半端なものにせずに、本音を出し切る討論によって、一人一人のよさや個性の違いを尊重する、何よりも人間を大事にするということを深め、いじめを許さない決意を子供全員のものにし切るということが大事でありまして、このような取り組みの中でこそ、子供たちの自治の力、人権意識も育つと思うんですね。
実は、これは世界では当たり前のことでありまして、日本政府も批准している子どもの権利条約の十二条には、子供に影響を与える全ての事柄について自由に自己の見解を表明する権利を子供に保障し、その意見は、子供の年齢及び成熟度に応じて正当に重視されると、子供の意見表明権を明確に定めております。
ところが、日本政府は、この条約の実施状況を審査する国連子どもの権利委員会から、子供の意見の尊重が著しく制限されていることを厳しく批判されてまいりました。去る二〇一〇年六月二十日に日本に対して出された第三回定期報告に対する最終見解のパラグラフ四十三及び四十四ではどのような指摘がなされているか、文部科学省、お答えください。
○布村政府参考人 お答えいたします。
パラグラフ四十三、四十四の学校に関するところの少し拾い読みになりますけれども、パラグラフ四十三につきましては、学校において児童の意見が考慮されているとの締約国からの情報に留意するが、学校が児童の意見を尊重する分野を制限していることに対し、引き続き懸念を有する。委員会は、児童を、権利を有する人間として尊重しない伝統的な価値観により、児童の意見の尊重が著しく制限されていることを引き続き懸念する。また、四十四につきましては、児童が学校においてみずからに影響を与えるあらゆる事柄について意見を十分に表明する権利を促進するための取り組みを締約国が強化するよう勧告するという指摘でございます。
○宮本委員 子供の意見表明権というのは、子供の本質につながる重要な権利であります。
子供は、自己に影響を及ぼす全ての事柄について、それが決められる手続に参加して自分の意見を言うことができ、大人はそれを尊重しなければならない、これが子どもの権利条約の言っていることなんですね。
大臣、この子どもの権利条約と先ほどの第三回最終見解の立場に立つならば、いじめ問題についても、最も重視されるべきは、子供自身の取り組みを教師、父母、地域が支え励ますことであり、子供たちの意見を尊重することではないか。ところが、文部科学省の通知を見ますと、子供は大切にされたり指導されたりする対象とされているだけで、いじめ克服に取り組む主体と位置づけられていないんです。
自主的な子供の討論や取り組みを、子どもの権利条約の観点からきちんと位置づけるべきだと私は思うんですけれども、大臣、そう思われませんか。
○平野(博)国務大臣 子供の皆さん方に文科省としてよく言うことは、生きる力ということをよく言葉で出しておりますが、私は、生き抜く力だ、こういうふうに実は思っております。
そういう意味で、子供にみずからのいじめ問題への取り組みを促すということは大変重要だと思っておりますし、教師や周辺の大人がこれを支えるということは大事であります。励ますことは、児童生徒の自己有用感といいましょうか、あるいはその社会性の育成にも大変効果がある、こういうふうに私は認識をいたしているところでございます。
したがいまして、文科省としては引き続き、児童生徒並びに進路指導など、そういうことを通じながら、いじめ解決に向けた子供たちへの取り組みの支援をしてまいりたい、こういうふうに思います。
○宮本委員 去る八月六日の青少年問題特別委員会で、参考人としてお招きしたNPO法人ジェントルハートプロジェクトの理事の小森美登里さんは、みずからもいじめ自殺で子供を失った御遺族の立場から、いじめられる子はもちろん、いじめる子も、傍観している子も、教育や社会のゆがみという大きな視点から見れば被害者だと語っておられました。その点では、子供たちを取り巻く異常な競争教育や、人間を大切にしない政治や社会のゆがみなど、その背景まで掘り下げなければならないと思います。
我が党は、今回の事件の真相の徹底究明を求めるとともに、学校現場にどんな問題があるのか、社会全体として取り組むべき課題は何かを明らかにし、子供たちを守るため、引き続き全力で取り組む決意を表明して、私の質問を終わります。