平成二十三年五月二十日(金曜日)
午前九時三十一分開議
出席委員
委員長 田中眞紀子君
理事 糸川 正晃君 理事 高井 美穂君
理事 野木 実君 理事 松崎 哲久君
理事 松宮 勲君 理事 下村 博文君
理事 馳 浩君 理事 池坊 保子君
相原 史乃君 石井登志郎君
大山 昌宏君 奥村 展三君
笠原多見子君 川口 浩君
木村たけつか君 城井 崇君
笹木 竜三君 瑞慶覧長敏君
高野 守君 中屋 大介君
平山 泰朗君 村上 史好君
室井 秀子君 本村賢太郎君
柳田 和己君 山田 良司君
笠 浩史君 和嶋 未希君
渡辺 義彦君 あべ 俊子君
遠藤 利明君 河村 建夫君
塩谷 立君 田野瀬良太郎君
竹本 直一君 永岡 桂子君
古屋 圭司君 松野 博一君
富田 茂之君 宮本 岳志君
城内 実君 土肥 隆一君
…………………………………
文部科学大臣 高木 義明君
内閣官房副長官 仙谷 由人君
文部科学副大臣 笹木 竜三君
文部科学大臣政務官 笠 浩史君
政府参考人
(内閣官房内閣総務官室内閣総務官) 原 勝則君
政府参考人
(総務省大臣官房審議官) 三輪 和夫君
政府参考人
(文部科学省生涯学習政策局長) 板東久美子君
政府参考人
(文部科学省初等中等教育局長) 山中 伸一君
政府参考人
(文部科学省高等教育局長) 磯田 文雄君
政府参考人
(文部科学省高等教育局私学部長) 河村 潤子君
政府参考人
(文部科学省研究開発局長) 藤木 完治君
政府参考人
(厚生労働省大臣官房審議官) 石井 淳子君
文部科学委員会専門員 佐々木 努君
―――――――――――――
委員の異動
五月二十日
辞任 補欠選任
金森 正君 笠原多見子君
熊谷 貞俊君 渡辺 義彦君
遠藤 利明君 竹本 直一君
同日
辞任 補欠選任
笠原多見子君 金森 正君
渡辺 義彦君 柳田 和己君
竹本 直一君 遠藤 利明君
同日
辞任 補欠選任
柳田 和己君 相原 史乃君
同日
辞任 補欠選任
相原 史乃君 熊谷 貞俊君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
政府参考人出頭要求に関する件
文部科学行政の基本施策に関する件
――――◇―――――
○田中委員長 次に、宮本岳志君。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。
今、スポーツ基本法制定の超党派の議連によるプロジェクトチームが開催をされて、論議をされております。きょうはその基本問題について聞いていきたいと思います。
スポーツ基本法、こういう名前のつく法律をつくるのであれば、私どもは、一つは、スポーツに関する国際的な到達点、二つは、スポーツをめぐる我が国と世界の歴史の教訓、三つは、単なる口先の宣言にとどまらず、予算や施設整備あるいは財源の確保などを含めた実効あるものにする必要がある、こういうふうに考えます。
きょうは、そういう点を一つ一つ、大きな問題で大臣とやりとりをしたいと思うんです。
日本国憲法は、第十三条で、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と幸福追求権を定めておりますし、二十五条では、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と生存権を規定しております。
この権利の中には国民がスポーツを享受する権利も含まれていると私どもは考えておりますけれども、まず、大臣の基本的な見解をお伺いいたします。
○高木国務大臣 宮本委員にお答えをいたします。
今、日本国憲法の第十三条、そして二十五条というお話がございました。
これは昨年の八月でしたけれども、文部科学省においてはスポーツ立国戦略というものを出しておりまして、この中で、スポーツを通じて幸福で豊かな生活を実現することは、すべての人々に保障されるべき権利であるとしております。また、スポーツをする、見る、支えるといったさまざまな形で人々が生涯にわたってスポーツを親しむことができる環境を整備すること、こういうことを基本的な考え方の一つとして私たちは重視をしております。
こうした考え方を実現していくためには、日本国憲法で定めるいわゆる幸福追求権、そしてまた生存権にも当然に配慮していかなきゃならないものだと考えております。
○宮本委員 この問題での国際的な到達点という点では、一九七八年十一月二十一日、ユネスコがパリで第二十回総会を開き、「体育およびスポーツに関する国際憲章」というものを採択いたしました。
きょうは、この議論の参考になればと思いまして、資料として皆さんのお手元にも「体育およびスポーツに関する国際憲章」をお配りしております。この訳は文部科学省の訳でありますから、ホームページからとったものであります。
このユネスコの宣言の第一条は「体育・スポーツの実践はすべての人にとって基本的権利である。」と高らかにうたい、「すべて人間は、人格の全面的発達にとって不可欠な体育・スポーツへのアクセスの基本的権利をもっている。体育・スポーツを通じて肉体的、知的、道徳的能力を発達させる自由は、教育体系および社会生活の他の側面においても保障されなければならない。」これが国際的にも確認をされた憲章の中身なんです。
我が国はもちろんユネスコに加盟をしておりまして、我が国としても、「体育およびスポーツに関する国際憲章」、この趣旨に沿って行政対応している、これは大臣、よろしいですね。
○高木国務大臣 先ほども申し上げましたように、私どものスポーツ立国戦略においては、委員御指摘のユネスコの国際憲章などの諸規定の趣旨を十分に尊重しながら、国民のだれもがそれぞれの体力、あるいは年齢、技術、あるいは興味、目的に応じて、いつでも、どこでも、だれでも、いつまでもスポーツに親しむことができるような生涯スポーツ社会を実現する、こういうことを私たちとしては目標に掲げております。
こうした目標の実現のために、例えば総合型の地域スポーツクラブの支援、あるいは地域スポーツを担う人材の育成、スポーツの施設の整備、こういった地域スポーツの環境整備を行っております。また幼児期あるいは学齢期の子供の体力を向上するための取り組み、また高齢者、高齢期の体力づくりの支援などについてもそれぞれのライフステージに応じたスポーツ活動を推進している、これが一つの我々の行政対応でございます。
○宮本委員 きょうは二十分しか時間がありませんので、施策そのものについてはまた追って議論する場があろうかと思います。ぜひ大きなところでの話をきょうは進めたいと思うんです。
こういう体育・スポーツの実践は基本的権利であるというユネスコの宣言、国際的な到達点をしっかり踏まえてスポーツの基本法というものを私たちは展望したいと思っておりますし、同時に、スポーツ活動の原則についてもう一つ確認したいのは、スポーツの発展の根本はスポーツの自由、スポーツ活動の自主性、スポーツ団体の自治という原理原則を貫く、これが非常に大事だと思っているんです。
それは、実は歴史があるんです。過去において、戦前では一九四〇年の第十二回オリンピック東京大会、これは実は開かれませんでした。戦前の十二回東京大会が中止をされるという歴史的な事実がございました。
この一九四〇年の十二回大会というのは、一九三一年の十月に東京市会が招致決議を上げたところから始まります。皇紀二六〇〇年奉祝行事の一環に、こういう意図もあって進められました。一九三六年七月三十一日のIOCの総会で、決選投票でヘルシンキ市を破って招致を獲得するわけであります。
ところが、その翌年、三七年の七月七日に盧溝橋事件が起こります。中国への戦争、こういうもとで国民統制の国民精神総動員体制というものがしかれ、大日本体育協会も組織を挙げてこれに協力をするということになりました。一九三七年八月に、馬術競技の中心を担っていた陸軍が、戦時を理由に、馬術競技の準備を中止すると決定をいたします。そういたしますと、東京の町内会から、非常時に巨万の費用をかけるオリンピックは中止の声が上がり、問題は一気に政治問題化いたしました。
九月の帝国議会で、ある代議士が、軍人がやめたのだから国民も五輪をやめるべきだと政府を追及し、大会返上論に火をつけます。同時に、物資統制のもとでオリンピックの準備が大変おくれてまいりまして、日本は国際的な批判にさらされました。一九三八年三月に開かれたカイロでのIOC総会、日本からは嘉納治五郎IOC委員が参加しておりましたが、日本はまさに四面楚歌という状況になりました。その心労もあって、太平洋航路で帰国の途中に、嘉納氏はその船の上で帰らぬ人となったと。
七月十四日、まず厚生省が東京大会中止を決定、翌十五日には政府がそれを追認、挙国一致、国家の総力を挙げて事変の目的達成に邁進する、こういうことを発表します。政府の報告を受けた大会組織委員会は、七月十六日、国策に順応し、東京大会を返上すると決議し、IOC本部に打電をする。これでアジア初のオリンピック大会の夢は消えうせたというのが戦前の十二回大会の歴史でありました。
大臣、ちょっと歴史を紹介いたしましたけれども、こういう痛苦の歴史を持っているということは御存じでございましたか。
○高木国務大臣 承知はしております。
したがいまして、私どもは、過去の経過を調べても、委員も既に御承知のとおりでありましょうが、オリンピックの開催とかあるいは選手団の派遣については、これはオリンピック憲章に基づいて各国の国内オリンピック委員会が行うべきものとされております。戦前の東京オリンピックの開催の返上やモスクワ・オリンピック選手団の派遣中止については、その当時の国際情勢を踏まえてスポーツ界が最終的に判断をしてきたところだ、私はそのように承知をいたしております。
いずれにいたしましても、スポーツは政治の影響を受けるべきではないと考えておりまして、今後、国際親善のための国際競技大会を通じて、スポーツの振興はもとより、国際社会の平和を築いていかなきゃならぬ、このように思っております。
○宮本委員 戦後のことまで答えていただきましたが、戦前の反省のもとに戦後のスポーツ行政は始まったんです。
ところが、今大臣がおっしゃったモスクワ・オリンピックのボイコットをめぐっても、実は深刻な問題が生じました。私は、そのときの、最終的にJOCがボイコットを決定した総会に取材に入っていた記者が書いた手記もここに持ってまいりました。
八〇年に開かれた第二十二回モスクワ大会です。この前年の十二月二十七日、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻いたします。一月二十日、カーター米大統領は、報復措置としてモスクワ・オリンピックのボイコットを表明いたしました。残念ながら、我が国は、このアメリカの態度に追随をして、全面的にこの呼びかけに呼応いたします。
二月一日、日本オリンピック委員会に政府の官房長官が直接乗り込んで、頭ごなしに、モスクワ大会参加は不適当だと威圧したと報じられております。乱暴な政治介入に、実は少なからぬ選手や競技団体の関係者が抗議の声を上げ、それは国民世論にも発展をいたしました。四月九日にはオリンピック候補選手たちが集まって、涙ながらにオリンピック参加を訴えました。文化人や学識経験者も政治介入を厳しく批判したわけであります。
我が党は、そのときに、参加、不参加はJOCが自主的に判断すべきこと、政治あるいは政府が介入してどちらか強要するのは正しくない、こういう態度を表明いたしましたけれども、このモスクワ大会への参加登録が大詰めを迎えた五月二十四日の総会、これは非常に異様な総会だったと伝えられております。
JOC会長の隣は、日本体育協会の会長である、ある参議院議員が座り、その隣には文部次官が並び、にらみをきかせていたと。あるJOC委員が、オリンピックは政治から独立した存在だと発言すると、だからおまえの協会はだめなんだとその参議院議員が怒号を発した。そして、そのあげくの果てには文部次官が、もし皆さん方がモスクワ五輪に参加されるならば、私は、来年度のスポーツ関係の国庫補助金をとってこいと言われても、その意欲も勇気もわいてきませんとその場で発言をする。
重たい時間が過ぎて、採決に持ち込まれ、大会不参加をJOCの態度とする、この賛否を挙手でとったところ、賛成二十九、反対十三で不参加が決定される。これは、いまだにJOCの一番長い日と呼ばれて記録をされているというんですね。
それで、このモスクワ大会から随分たった二〇〇八年の五月十三日にモスクワで、このモスクワ・オリンピックの代表だった山下泰裕選手が記者会見をしております。当時、チベット問題をめぐって、北京オリンピックへの参加にさまざまな問題が生じていたときでありますけれども、当時の山下東海大教授は、人権迫害をマスコミなどが批判するのは当然だが、ボイコットで若い選手の夢を摘むことは断じてあってはならない、こういうふうに訴えたと。これは、その後にも随分大きな傷跡を残したと言われているわけです。
先ほども、自主性、自立性ということをしっかり尊重するという御答弁でありましたけれども、戦前だけでなく戦後も、こういった歴史が繰り返されたということについての大臣の所感をお聞かせいただきたいと思います。
○高木国務大臣 戦前戦後の歴史について今お話がありました。私は、そのときの詳しい経過は承知をいたしておりませんけれども、お話のあったとおりだと思っております。
言うまでもなく、私どもとしましては、スポーツというのは、心身の健全な発達あるいは精神的な充足感、こういうことを補う非常に意義あるものであります。したがって、あくまでもスポーツというのは自由であって、自立的なものでなければならぬと思っております。したがいまして、そういうものの前提の上に、我々はスポーツの振興を図っていかなきゃならぬと思っております。
当然にして、関係のスポーツ団体についても、その自治のあり方についても、あるいはガバナンスについても、日々それぞれチェックをしながら、多くのスポーツ参加者のための、理解が得られるようなことに心がけることは非常に重要なことであろうと私は思っています。
○宮本委員 そういう歴史も踏まえて、現行のスポーツ振興法、これは制定されて既に五十年という、戦後すぐにつくられたものでありますけれども、第一章「総則」の第一条、「目的」の第二項で、こう明記をしております。この法律の運用に当たっては、スポーツをすることを国民に強制し、またはスポーツを前項の目的、すなわち、スポーツの振興をもって、国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与するという以外の目的のために利用することがあってはならないと述べているわけですね。これはまさに、我が国の歴史の教訓に立ったものであります。
また、社会教育法第十二条、これはスポーツ振興法と似通った規定を持つものでありますけれども、国及び地方公共団体との関係は、戦前の反省の上に立って、国及び地方公共団体は、社会教育団体に対し、いかなる方法によっても、不当に統制的支配を及ぼし、またはその事業に干渉を加えてはならないと書いております。
こういう、非常に長い長い歴史の上に立った大事な規定があるわけであって、スポーツ振興法を改正して新しく基本法と名のつく法律をつくるに当たっては、これはしっかりと受け継ぐ必要があるということを私は強調したいと思うんです。
あわせて、先ほど大臣の口からも、スポーツ立国戦略という言葉が語られました。また、国家戦略としてスポーツをという議論が割と安易にされているわけでありますけれども、立国戦略であるとか国家戦略というふうに語られますと、やはり戦前の歴史、あるいはモスクワ・オリンピックのときの思いというものがいまだに消え去っていない方々にとっては、また国策にスポーツが動員されるのではないか、やはりこういう危惧が起こってきているし、そういう声をよく聞くんですよ。
だから、やはり、もちろん国を挙げてスポーツを振興することに我々は反対ではありません。スポーツの予算はまだまだ少ない。もっとやらなければならぬと思っているんですけれども、これを国家戦略とか立国戦略という言葉で表現することが、こういう歴史を踏まえた上では、なかなか、誤解と危惧を呼ぶのではないかというふうに私は思うんですが、きょうはもう時間が参りました。
大臣に、最後にその点、御答弁をいただいて、私の質問を終わりたいと思っております。
○高木国務大臣 戦略という言葉でございます。
私たちも、新成長戦略とか、あるいは国家戦略局とか、そういう言葉を使っております。これはあくまでも未来志向で、ある意味では、それについてみんなで協力をしながら実現を目指すという意味合いも含めて使われた言葉と思っております。
いずれにいたしましても、委員御指摘のとおり、スポーツを国民に強要してはならないということは当然でございまして、いわゆる昭和三十六年に制定されたスポーツ振興法第一条第二項の趣旨も十分踏まえ、そして、それを踏まえた新しい自主的、自立的なスポーツが我が国に大きく展開されるように、我々としては最善の努力をしていきたいと思っております。
○宮本委員 これはしっかりと議論を尽くして、よりよいものをつくっていかなければならないと思っております。
この機会に、さまざまな、権利として保障するためにどういう規定が要るのであるか、あるいは、今は国際的にも地球環境ということが大きな議論になって、そういうこともスポーツにかかわっても問われるような時代でありますから、本当に、この機に、各党各会派は大いに議論をして、そして、当事者の方々やスポーツ関係団体の方々も大いに参考人としてお招きをして、実際に携わっている方々の意見もしっかりと反映された、よりよいものをつくっていきたい。私どももそのために力を尽くすということを申し上げて、私の質問を終わります。
ありがとうございました。