平成二十六年四月十八日(金曜日)
午前九時開議
出席委員
委員長 小渕 優子君
理事 中根 一幸君 理事 丹羽 秀樹君
理事 萩生田光一君 理事 山本ともひろ君
理事 義家 弘介君 理事 笠 浩史君
理事 鈴木 望君 理事 稲津 久君
青山 周平君 池田 佳隆君
小此木八郎君 神山 佐市君
菅野さちこ君 木内 均君
工藤 彰三君 熊田 裕通君
小林 茂樹君 桜井 宏君
新開 裕司君 末吉 光徳君
冨岡 勉君 永岡 桂子君
根本 幸典君 野中 厚君
馳 浩君 福山 守君
星野 剛士君 宮内 秀樹君
宮川 典子君 渡辺 孝一君
菊田真紀子君 細野 豪志君
吉田 泉君 遠藤 敬君
椎木 保君 三宅 博君
中野 洋昌君 柏倉 祐司君
杉本かずみ君 井出 庸生君
宮本 岳志君 青木 愛君
吉川 元君
…………………………………
議員 吉田 泉君
議員 笠 浩史君
議員 鈴木 望君
文部科学大臣 下村 博文君
文部科学副大臣 西川 京子君
文部科学大臣政務官 冨岡 勉君
政府参考人
(文部科学省初等中等教育局長) 前川 喜平君
参考人
(三鷹市教育委員会委員長) 貝ノ瀬 滋君
参考人
(千葉大学名誉教授) 新藤 宗幸君
参考人
(大阪市教育委員会委員長)
(首都大学東京大学教育センター教授) 大森不二雄君
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委員の異動
四月十七日
辞任 補欠選任
柏倉 祐司君 山内 康一君
同日
辞任 補欠選任
山内 康一君 柏倉 祐司君
同月十八日
辞任 補欠選任
木内 均君 末吉 光徳君
比嘉奈津美君 渡辺 孝一君
宮内 秀樹君 星野 剛士君
柏倉 祐司君 杉本かずみ君
同日
辞任 補欠選任
末吉 光徳君 根本 幸典君
星野 剛士君 宮内 秀樹君
渡辺 孝一君 福山 守君
杉本かずみ君 柏倉 祐司君
同日
辞任 補欠選任
根本 幸典君 木内 均君
福山 守君 比嘉奈津美君
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四月十七日
教育費負担の公私間格差をなくし、子供たちに行き届いた教育を求める私学助成に関する請願(宮本岳志君紹介)(第六七八号)
同(福井照君紹介)(第七〇一号)
同(宮本岳志君紹介)(第七〇二号)
同(武藤貴也君紹介)(第七〇三号)
同(北村誠吾君紹介)(第七一七号)
同(宮本岳志君紹介)(第七四四号)
同(三日月大造君紹介)(第七八八号)
私立幼稚園教育の充実と発展に関する請願(宮本岳志君紹介)(第七五八号)
は本委員会に付託された。
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本日の会議に付した案件
政府参考人出頭要求に関する件
地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第七六号)
地方教育行政の組織の改革による地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(笠浩史君外三名提出、衆法第一六号)
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○小渕委員長 次に、宮本岳志君。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。三人の参考人の皆さん、ありがとうございます。
早速質問に入りたいと思うんですけれども、貝ノ瀬参考人にお伺いしたいんです。
貝ノ瀬さんは、雑誌の対談の中で、首長会が、教育委員会そのものが要らない、今の時代、政治的中立性をわざわざうたう必要もないなどと強硬な意見も出しますから、こう言ってはなんですが、首長としての力量不足や対応のまずさを制度の問題と一緒にしてしまった、そういう印象も受けましたと述べておられます。
政治的な中立性というのは極めて大事なことだと私は思っておりまして、この間の世論調査を見ましても、七五%の方々が、政治家が学校の学習内容をゆがめることのないよう一定の歯どめが必要だ、こういうふうに答えておられるということもございます。
まず、貝ノ瀬さんに、教育の政治的中立性、これをどう受けとめておられるか、お考えをお聞かせいただきたいと思います。
○貝ノ瀬参考人 ありがとうございます。
私も、教育の政治的中立性、継続性、安定性というのは、長い目で子供たちの人格形成を図っていくというような観点からも、短絡的に、政権がかわるたびにころころといろいろ教育が、政策、方針が変わるようでは子供たちが非常に迷惑を受けるということになりますので、やはりこれはしっかりと維持されてしかるべきだというふうに思います。
冒頭お話がありましたように、ある市でいじめ等の問題があって、そして、教育委員会からの報告がなかったとか動かなかったということで、教育委員会は要らない、そういうようなお話をしている首長さんがいらっしゃったようでありますけれども、私に言わせればというか、多くの教育関係者は、多分御自分の力量のなさを制度のせいにしているというふうに受け取ったというふうに思います。
率直に申し上げて、教育委員会が、例えば、ずっと物理的にも離れているとか、それから、ほとんど連絡もつかないようなところにいるならまた別ですけれども、実際すぐそばで、同じ建物にあったりなどもしますし、すぐそばに教育委員会があって一緒に仕事をしているわけですので、これは御自分で行けばいいだけの話ですね。何しているんだ、報告しなさいというふうなことで、それで一言で済むわけでありますので、そういったこともされたのかどうかわかりませんけれども、やはり首長として、まさに市の民意を代表する方としての矜持を持って仕事をすればそういった問題は起きなかったんではないかというふうに私は個人的には思っております。
○宮本委員 ありがとうございます。
次に、新藤先生、お久しぶりでございます。
新藤先生は、先ほどの冒頭のお話でも、教育長をトップとする教育委員会事務局と合議制の執行機関である教育委員会とを区別する必要ということをお話しになりました。私は、まさに非常に大事だと思うんですね。そして、そのもとで、実際は上意下達の、文科省からの事務局を通じた支配の仕組みというものがあると。
これは私、実は、この前の衆議院本会議でも、私たちも現在の教育委員会には少なからず問題があると考えている、教育委員会は地方の教育行政の意思決定を行う住民代表の合議体としての役割が今十分に発揮できていない、その背景には、歴代の自民党政権が、日の丸・君が代、全国学力テストなど、国の方針どおりの教育を学校現場に押しつけるために、教育委員会事務局を通じて教育委員会の自主性を奪ってきたことがある、こう指摘したんですけれども、このあたりのところ、新藤先生、どうお考えになるか、お話しいただきたいと思います。
○新藤参考人 まさにそうでありまして、国旗・国歌法が制定されたときに、当時の野中官房長官は、衆議院本会議で、これは決して学校現場に強要するものではないと議事録に明確に残っておりますけれども、それが、なぜ学習指導要領に小学校、中学校、高校の分まで全部あって、その遵守が行われるのか。しかも、遵守しろと言うだけならまだしも、処罰を伴って行われているのかというのは、まさに教育委員会という合議制の機関の問題ではなくて、事務局レベルの、私の言葉で言えば、縦の系列の話です。国立教育会館の中に全国教育長協議会という組織の事務所があって、この教育長協議会が四つの分科会を昔から持っていて、そこで文部官僚並びに国立教育政策研究所の官僚たちとさまざまな議論を交わしている。
だから、要するに、勤務態度の悪い、何をもって悪いというのかというのは、私も大学の教師を長くやりましたが、指導力不足というのはそう簡単に言えるものじゃないんですよね。でも、ともかく何かの基準をつくる、そしてそれをまた下達する。これは一つの例ですけれども。
ですから、結局、この問題にもっと目を向けない限り、日本の教育、もっと地域に根差した教育なんて言ったって、ほとんど私は無意味だと。むしろ、あえてこういうところで申し上げたいのは、我々は、そういう縦の行政系列こそ問題にして、同時に地域の豊かな教育をつくるべきだというふうに申し上げておきたい、そう思います。
○宮本委員 ありがとうございます。
それでは、大森参考人にお伺いしたいと思うんです。
冒頭の話で、さぞかし教育委員会は無力になった、無意味なものになっているだろうと思うだろうがそんなことはない、大阪は頑張っている、こうおっしゃったわけですけれども、大森参考人が大阪市の教育委員におなりになるときの新聞報道を見ますと、橋下市長の側は、僕がどういう教育をしようとしているのか理解してもらった上で一緒にやってくれる人ということで参考人をお選びになったと御自分が語っておられます。また、参考人は、自分が提言している教育改革に近い改革が大阪で取り組まれつつあり、ぜひ貢献したいと語っておられます。
つまりそれは、思いがこうして一致して教育長になったから、これはさぞかし無力になっただろうと思うだろうがそんなことはないとおっしゃられるのであって、私は、首長と教育委員会とで意見が違った場合には、こういう今回の法改正のようなことをやるとさぞかし教育委員会は無力になると思うんですが、そうじゃありませんか。
○大森参考人 今回の改革というのは、内閣提出法案の方のことですかね。(宮本委員「どちらにしてもです」と呼ぶ)だってもう民主、維新案の方は首長が執行機関になりますから。
まず申し上げたいのは、たまたま何か教育政策に対する考えが近いからとおっしゃったんですけれども、これは近くなきゃ困るんですよ、正直言って。どちらの法案にしろ、これはですから、その点で民主、維新法案の方がすぐれていると申し上げましたけれども、執行機関として明確に首長がなるという点のほかに、きちんと、教育政策が混乱しない、その自治体の教育行政が混乱しない。
これは、現実問題起こり得ると思いますよ。つまり、首長の考えと全然違う考えの前任の首長さんが任命した教育長がそのまま結構任期が残っていて続けるというような場合、これは、その首長が定める大綱というものと日々の行政運営を担う教育長の強力な強大な権限と地位、この中でどうなるかというのはよくわからない。その混乱で被害を受けるのは子供や保護者や市民、住民ですよ。ですから、きちんと制度というものは組み立てなきゃいけない。
一つの選択をしているわけですから、民意というのはそういうことですから、この人を選んだ、それは都市計画だとか農林業振興だとか教育振興だとか行政分野はいろいろ無数にありますから、白紙委任しちゃうわけじゃないとかいう議論はありますけれども、そんなことを言ったら政治というのは成り立たないわけでして、ですから、任せた人に一つの方向でやってもらうというしかないんですよ。次の首長になってその方針、政策が変わったらそれは混乱だとかおっしゃるけれども、国では起こってもよくて何で地方だとそれはだめなんですかとさっき申し上げましたけれども、それなんですよ。
要するに、教育政策というものを国が定めたとおりに官僚機構がやればいいんだという選択をするのなら、はっきりそうおっしゃってください、中立性なんて言わないでそうはっきり言ってくださいと私は言いたいですね。
お答えがずれましたかね。以上です。
○宮本委員 さまざまな問題意識をお持ちなことはよくわかりました。
しかし、同時に、やはり教育委員会というものをなくしてしまって、では首長にしたら全てうまくいくかというと、そうでもありません。
例えば、冒頭、大津市のことについてお触れになりましたね。いじめの隠蔽というのは、大森参考人も事務局の隠蔽体質だとおっしゃっている。そのとおりです。しかし、事務局の隠蔽を教育委員会がチェックできなかった、だから教育委員会をなくして首長をとおっしゃるんですけれども、実は、全国には首長が教育委員会事務局と一緒になって隠蔽の側に立っているという場合が多々あります。ですから、やはりここはそういう単純な話でもなかろうと思うんです。
それで、四月十六日付の毎日ですけれども、大阪の教育界の戸惑いということについて少し報道されております。大阪市立小学校のある校長はということでありますけれども、「今の教育委員会は、変える必要がある」と言いながら、「人気取りで首長によって政策が変われば、現場は混乱する。教育は失敗したら取り返しがつかない」、こういうふうに述べたということがありますし、この記事では、その「橋下市長の肝煎りで導入した民間人校長も不祥事が相次ぐ。」こう書いているわけです。やはり誤ることはあると思うんですけれども、このあたり、大森参考人はどうお考えになりますか。
○大森参考人 先ほども申したと思うんですが、個別の首長全員が完璧になるというのは、教育長が全員、あるいは教育委員が全員完璧になるということが常識的にあり得ないと同じでございまして、制度論というのは、やはり、神様もいなければ大悪党もそんなにはいないだろうという、普通の人がどう運営していくかという中で、どういう職にどういう権限を担わせ、チェック・アンド・バランスで誰に牽制させるか、チェックさせるかということでございますので、私自身も、首長に全部やらせれば大丈夫だなんてそんなことを言ったつもりはございません。
今の教育界の縦系列と、実際、現場のことをコントロールしている事務局の状況というものを考えた場合に、やはり閉鎖的な今の状況は変える必要があるということで申したわけで、そこで首長というのは、まあ、できふできはあるかもしれないけれども、民意の、住民の意思の負託を受けた存在でもありますから、役割をもっと果たしてもらいましょうよ、ほかにもっと適任者がいますかということで申したわけで、それに対するチェック役というのは必要だと私も思います。
ですから、それは、民主、維新案にしろ内閣提出法案にしろ、そこはちゃんと、どちらも首長に任せればいいなんということでは言っていないと思いますけれども、それぞれやり方は違いますけれども、私自身もそこは全部任せりゃいいなんて言っておりません。
○宮本委員 きょうのお話を伺って、一層議論を深めていきたいと思うんですけれども、私は、もちろん教育委員会の形骸化ということは問題だと思っております。これは、大体みんな衆目の一致するところだと思うんですけれども、形骸化しているからもういっそのことなくしてしまえとか、形骸化しているから意味がないじゃないかという議論をするんじゃなくて、本来教育委員会の果たす役割はいかなるものであって、それをどう再生させるかという議論こそ必要だということを申し上げて、きょうの質問を終わります。
ありがとうございました。
○小渕委員長 次に、宮本岳志君。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。
まず冒頭、一問お伺いしたいんです。
前回の質疑で私が、教育委員会の教育長に対する指揮監督権をなくしてしまえば、首長は、自分の意を酌んだ教育長を選任すれば教育委員会を意のままに操れるようになるのではないか、こう質問を大臣にいたしました。
これは杞憂ではありませんで、実は、本日午前中の参考人質疑でも、大阪市教育委員会委員長の大森不二雄参考人が見えられておりまして、大森さんは、さぞかし教育委員会が無意味なものになっているだろうと思うだろうが、そんなことはない、元気いっぱい大阪では教育委員会は頑張っている、こうおっしゃるので、それはまさに首長の意を酌んだ教育委員長、つまり、就任するときも橋下市長は、僕がどういう教育をしようとしているか理解してもらった上で一緒にやってくれる人、こうして選んでいるし、選ばれた大森さんの方も、自分が提言している教育改革に近い改革が大阪で取り組まれつつある、ぜひ貢献したい、意気投合してやっているからそれはそういうことなんだろうが、これが食い違った場合はそういう話じゃないんじゃないですかというやりとりが先ほどありました。
そういう場合には、結局、首長と教育長が同じ方向で独走するんじゃないかという私の質問に対して、前回、大臣は、首長が教育長を任命する、それに対しては議会の同意という担保が入っておりますのでその心配はないとお答えになったんです。
ところが、先ほど、鈴木委員の質問に対して、そこまで議会というものが政治的中立性の担保になるかどうか疑問だとお答えになりましたので、これはちょっと人によってお答えが変わるのかと聞いたんですが、いかがですか。
○下村国務大臣 それは一面的な言葉のとり方での御質問としか私は思えません。
そもそも、新教育長を任命するのは、当然それは首長は信頼関係があって、その人が最もその地方自治体において、教育行政において識見を持って、そしてそれだけの能力を発揮できる人だという前提があって教育長を任命するというのは、当然の話だというふうに思います。
ただ、首長とそれから教育委員会はそれぞれ別々の執行機関としてあるわけでありますし、新しい教育委員会においても、今までと同じような教育委員会としての執行機関としての機能はそのまま残るわけでありますから、これは、政治的中立性、それから継続性、安定性の中で対応してもらうということは当然の話であります。
○宮本委員 僕は、実態的には、大阪の事例じゃないですけれども、そういう形で首長と教育長がどんどん走っていく、これに対する歯どめの機能というのはどこにも担保されていないと思いますし、議会というものはそういうものになり得るかという点では、大臣まさにおっしゃったとおり、全てがそれでチェックできるというものじゃない。大体、任命時の一回限りじゃないかということも言いましたけれども、ここは実に、やはりはっきりさせなければならない問題があると思うんです。
それで法案について聞きますけれども、法案第一条の三において、首長が、教育基本法第十七条第一項に規定する基本的な方針を参酌して大綱を定めるということになっております。なるほど、教基法を見ますと、第十七条一項は、国の教育振興基本計画について、基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について基本的な計画を定めるとなっているわけです。
私はてっきり、国の教育振興基本計画というものは、基本的な方針というものと、講ずべき施策というものと、その他必要な事項、こういう順番に分けて書いてあって、その基本的な方針だけを参酌するんだろうと思って改めて第二次教育振興基本計画を見てみたら、そのような区分はどこにもありません。
そこで、これは局長に聞くんですが、参酌すべき教育基本法第十七条一項に規定する基本的な方針というのは、この国の教育振興基本計画のどこに当たるのか、お答えいただけますか。
○前川政府参考人 大綱が参酌することにしております基本的な方針の部分でございますが、具体的に国の第二期教育振興基本計画で申しますと、主として、その「第一部 我が国における今後の教育の全体像」、この部分が基本的な方針に該当するものと考えております。
○宮本委員 昨日説明を受けたんですけれども、この第一部だけではなくて、第二部の八つの成果目標のそれぞれ冒頭部分というものも入るんだという説明だったんですが、これは入らないということでいいですか。
○前川政府参考人 場所としてこの第一部の部分が該当するわけでございますけれども、第二部の、第二部というのは「今後五年間に実施すべき教育上の方策」について記述している部分ですが、その中で目標として設定している部分、これは基本的な方針に該当し得るものと考えております。
○宮本委員 この八つの成果目標の中身、特に冒頭部分については該当し得るという答弁だったと思うんです。
それで、この国が講ずべき施策の具体的部分というものは、つまりほぼ全てに当たるんです。この第二次教育振興基本計画というのは八十ページの冊子ですけれども、今お話しになった第一部と第二部のもちろん項目のところですが、を全部数えれば、最後の十ページを除くほぼ全てにわたるんです、一応範囲は。
これは確認するんですけれども、濃淡はありますよ、どれだけ具体的な中身まで参酌するかは別として、この冊子のほぼ全部の部分にわたって参酌する必要が出てくるということになりますね。
○前川政府参考人 先生おっしゃいましたとおり、この教育振興基本計画は、基本的な方針と講ずべき施策その他の必要な事項をきちんと分けて書いているわけではないということでございますので、今御指摘のあったページの中でも、基本的な方針に当たる部分と、そうでない、講ずべき施策に当たる部分とがあるということでございますので、大部分がこの基本的な方針に当たるというわけではないと考えております。
○宮本委員 分けて書いているわけではないので、大部分の中でもちろん抜ける部分も出てくるわけでしょうけれども、領域はほぼ全体にわたる、最後の十ページ以外は。事実、見てもらえばそうなっております。
そうなりますと、教基法十七条二項に定める地方教育振興基本計画というのはあくまで努力義務ということになっておりまして、まだ都道府県段階でも定めていない県も残されております。しかし、今回のこの大綱というのは、全ての地方公共団体で定めることとすると、義務規定になっているわけです。
つまり、本法案の大綱というものは、教基法十七条二項が努力義務としていた地方教育振興基本計画を、具体化の程度にこそ差があるにせよ、国の計画の基本的な方針だけは必ず参照して、義務化して全ての自治体につくらせよう、こういう結果になるんじゃありませんか、これは大臣。そうじゃないですか。
○下村国務大臣 今、言葉をかえておっしゃっていましたけれども、実際は参酌です。(宮本委員「参酌です」と呼ぶ)参酌と今おっしゃいませんでしたけれども。
参酌というのは、これは参考にするという意味でありますから、これは強制的ということではありません。
○宮本委員 この参酌というものがどういう意味を持つかということについては、また追って議論をしたいと思っております。
次に、教育長の服務という規定がございます。改正案の第十一条八項で「第一条の二に規定する基本理念及び大綱に則して、」「教育行政の運営が行われるよう意を用いなければならない。」と規定し、さらに十二条では、教育委員にも同様の規定を準用しております。この意を用いるという規定は、平成十九年改正で入れられたものであります。
ここに言う「第一条の二に規定する基本理念」というものは何かといいますと、「地方公共団体における教育行政は、教育基本法の趣旨にのつとり、教育の機会均等、教育水準の維持向上及び地域の実情に応じた教育の振興が図られるよう、国との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」というものでありますけれども、今回は、これに並んで大綱が入るわけです。つまり、教育長や教育委員は、首長が策定する大綱に則して教育行政が行われるように意を用いなければならないことになります。平成十九年改正で入れられたこの一条の二の意を用いるということについても、我が党は当時反対をいたしました。
しかし、これらの法令に並んで「大綱に則して」というのは余りにもおかしいんじゃないですか。それこそ、首長の意に沿って教育行政に当たれと指示するようなものだと私は思いますが、大臣、そうじゃないですか。
○下村国務大臣 大綱は、執行機関である首長と教育委員会とが当該地方公共団体における教育の目標や施策の根本的な方針について協議、調整した結果を示したものでありまして、教育委員会には大綱に沿った教育行政運営が期待されることから、教育長及び教育委員の責務について規定した第十一条第八項及び第十二条第一項において、大綱にのっとった教育行政を行うよう訓示的に規定するものであります。
○宮本委員 先日も議論しましたけれども、総合教育会議で調整が尽くされなかった事項であっても、大綱自体は首長が定められるんです、調整がつかなくても。しかし、その場合は第一条四の八に定める尊重義務はかからないという答弁が何度も繰り返し出ております。
では聞きますけれども、調整が尽くされず一条四の八に定める尊重義務がかからないような大綱にも、この十一条及び十二条によって教育長や教育委員は意を用いることが求められるのか。どうですか、大臣。
○前川政府参考人 この尊重義務と申しますのは、これは、お互いの調整がついたものにつきまして尊重するということでございます。
大綱につきましても、教育委員会の了解のもとでつくられるものにつきましては、尊重の義務及びこの「意を用いなければならない。」という条文に係るものになるということでございますけれども、教育委員会の了解のない部分がもし仮にあるとすれば、この部分について、意を用いなければならないということにはならないと考えております。
○宮本委員 それはおかしいと思うんです。第一条の四の八の書きぶりは、調整が整わなければその尊重義務がかからない、つまり、調整が整った場合に限り尊重義務がかかるという、ちゃんと条件つきの書きぶりになっているわけです。
ただ、十一条及びそれを準用する十二条は全く無条件に「大綱」と書いているわけですから、大綱の中に調整が整ったものと整わない部分があった場合に、それは意を用いるべきであったり、なかったりするということはどこにも書いていないわけですよ。これは全く欠陥じゃないですか。
○前川政府参考人 尊重義務との関係上、そのように考えるべきであるというふうに考えております。
○宮本委員 何の関係上、そのように考えているんですか。
○前川政府参考人 大綱の中には、教育委員会と首長とのそれぞれの権限が関連するというものがございますので、ここにつきましては、お互いに調整を尽くした上で記述するということが原則であるというふうに考えております。
教育委員会の職務権限にかかわる事項につきましては、教育委員会がここに載せるという意思を持っている場合には載せることができるという考え方でございます。そのようなものにつきましては当然に教育委員及び教育長は意を用いるべきであるということになりますけれども、そうでないことにつきましては、この条文上、意を用いる対象として考えているわけではございません。
○宮本委員 時間が来ましたので次またやりますけれども、第一条の三の書きぶりは、大綱は、調整が整わなくても首長が定められるんです。整わなければ定められないとなっているんだったらまた話は別ですよ。定められるんです。ところが、一条の四「総合教育会議」では、調整が整わなければ尊重義務はないとなっているんです。しかし、十一条や十二条では「意を用いなければならない。」無条件にそう書いているから、まさに三すくみのような形にこれはなっているんですよ。
私は、そもそも形式上も欠陥だということを申し上げて、きょうの質問を終わりたいと思います。