平成二十六年四月二十五日(金曜日)
午前九時開議
出席委員
委員長 小渕 優子君
理事 中根 一幸君 理事 丹羽 秀樹君
理事 萩生田光一君 理事 山本ともひろ君
理事 義家 弘介君 理事 笠 浩史君
理事 鈴木 望君 理事 稲津 久君
青山 周平君 井野 俊郎君
池田 佳隆君 小此木八郎君
神山 佐市君 菅野さちこ君
木内 均君 工藤 彰三君
熊田 裕通君 小林 茂樹君
桜井 宏君 新開 裕司君
冨岡 勉君 永岡 桂子君
根本 幸典君 野中 厚君
馳 浩君 福山 守君
宮内 秀樹君 宮川 典子君
泉 健太君 郡 和子君
細野 豪志君 吉田 泉君
遠藤 敬君 椎木 保君
田沼 隆志君 三木 圭恵君
中野 洋昌君 柏倉 祐司君
井出 庸生君 宮本 岳志君
青木 愛君 吉川 元君
山口 壯君
…………………………………
議員 吉田 泉君
議員 笠 浩史君
議員 鈴木 望君
議員 中田 宏君
文部科学大臣 下村 博文君
文部科学副大臣 西川 京子君
文部科学大臣政務官 冨岡 勉君
政府参考人
(文部科学省生涯学習政策局長) 清木 孝悦君
政府参考人
(文部科学省初等中等教育局長) 前川 喜平君
―――――――――――――
委員の異動
四月二十三日
辞任 補欠選任
柏倉 祐司君 山内 康一君
同日
辞任 補欠選任
山内 康一君 柏倉 祐司君
同月二十五日
辞任 補欠選任
菅野さちこ君 根本 幸典君
小林 茂樹君 井野 俊郎君
比嘉奈津美君 福山 守君
菊田真紀子君 郡 和子君
遠藤 敬君 田沼 隆志君
三宅 博君 三木 圭恵君
同日
辞任 補欠選任
井野 俊郎君 小林 茂樹君
根本 幸典君 菅野さちこ君
福山 守君 比嘉奈津美君
郡 和子君 泉 健太君
田沼 隆志君 遠藤 敬君
三木 圭恵君 三宅 博君
同日
辞任 補欠選任
泉 健太君 菊田真紀子君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
政府参考人出頭要求に関する件
参考人出頭要求に関する件
地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第七六号)
地方教育行政の組織の改革による地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(笠浩史君外三名提出、衆法第一六号)
派遣委員からの報告聴取
――――◇―――――
○小渕委員長 次に、宮本岳志君。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。
政府の教育委員会制度を変える動きには、多くの国民、教育関係者が危惧を持っております。その中心は、教育の独立と民主主義が壊され、戦前のような暗い時代に向かわないかという強い懸念だと思うんです。
ところが、下村文科大臣は四月八日の大臣会見で、戦前、戦時下の教育の根本を定めた教育勅語を、そのものの中身は至極真っ当なことが書かれていると思う、こういう発言をいたしました。これは重大な発言だと私は思うんです。
これまで、教育勅語には悪い中身もあるがよいことも言っていると発言した大臣は何人もおりましたけれども、中身が至極真っ当だと発言したのはあなたが初めてだと私は言わざるを得ないです。
教育勅語の中身で、悪い中身、否定すべき中身はないという認識ですか。
○下村国務大臣 私が申し上げた中身というのは、その徳目的な部分です。この徳目は、至極真っ当な、今でも十分通用するというか、これは戦後とか戦前関係なく、あるいは国を関係なく、この教育勅語の十二の徳目でありますが、中身そのものについては普遍性があるというふうに思います。
ただ、言葉の文言、例えば皇民とか、そういう言葉については、それは適切でない言葉はあるというふうに思います。
○宮本委員 真っ当なことも書いてあると。その中身はおっしゃるとおり十二の徳目という話でありますけれども、教育勅語というものは十二の徳目だけを書いているわけではないです。
では大臣、教育勅語の中で、真っ当でない中身、否定すべき中身は一体どういうものであるか、お答えいただけますか。
○下村国務大臣 例えば、教育勅語の「我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世々厥ノ美ヲ済セルハ、此レ我カ国体ノ精華ニシテ、教育ノ淵源、」云々とありますが、例えば「我カ臣民」、こういう言葉は、これは現代的に言うと我が国民という言葉で、臣民も我がということも適切ではない。
そういう意味では、現憲法下における国民主権ということを考えれば、「我カ臣民」という言葉は、これは適切ではないと思います。
○宮本委員 いやいや、臣民という言葉は、この時代の国民を明治憲法のもとで呼んだ言葉であって、それだけですか。
では、具体的に中身そのものに入っていくんですけれども、臣民というこの言葉は横に置くとして、「克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世々厥ノ美ヲ済セルハ、此レ我カ国体ノ精華ニシテ、教育ノ淵源、亦実ニ此ニ存ス。」この部分は否定すべき中身ではありませんか。
○下村国務大臣 昔の言葉でそのまま言うと誤解される部分があると思いますが、「教育に関する勅語の全文通釈」という、これは文部省の図書局が発行している現代語訳、これがあります。この中でそこのところを例えば読み上げると、「わが臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一つにして代々美風をつくりあげて来た。これはわが国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。」ということであります。
この中で「わが臣民は」ということは適切でないと思いますが、中身そのものについては、まさに日本の国柄をあらわしていると思いますし、これは別に否定することではないと思います。
○宮本委員 いやいや、それはそういう訳にならないと思うんです。
私はここに、これは戦前の文部省が教育勅語についてつくったまさに公式の解説書ですよ、井上哲次郎氏の「勅語衍義」というものを改めて持ってまいりました。「勅語衍義」はこの部分についてどう述べているか。「天皇陛下ノ命令ニ従フコト、恰モ四支ノ忽チ精神ノ向フ所ニ従ヒテ動キ、毫モ渋滞スル所ナキガ如クナルニアリ、」つまり、教育の基本というのは、臣民、国民が天皇に忠孝を尽くし、心を一つにすることにあるというのが、教育勅語のここの部分のまさに中身なんですね。
これは、まさにここを否定しなければ、戦後の教育の出発点すら間違ってしまうと言わざるを得ませんが、そう受けとめておられませんか。
○下村国務大臣 私が今引いたのも、これは文部省の図書局の「教育に関する勅語の全文通釈」でありまして、今私が申し上げたようなことの中で、臣民という言葉はこれは適切でないというふうには思いますが、先ほどの、日本人としての国柄あるいは日本国としての国柄そのものは否定すべきことではないのではないかというふうに申し上げているわけであります。
○宮本委員 では、国柄ということだけで見ても、「此レ我カ国体ノ精華ニシテ、教育ノ淵源、亦実ニ此ニ存ス。」ここで言われている「国体」、これは今でも別に通用するものだ、こうお感じになりますか。
○下村国務大臣 もう一度申し上げますが、「忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一つにして代々美風をつくりあげて来た。これはわが国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。」この言葉自体は何ら否定すべき言葉ではないと思います。
○宮本委員 では、もう一つ聞きましょう。
あなたが、「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、」云々、こういうところに並ぶ徳目が真っ当だと思っておられることはわかっているんです。
ただ、これも「勅語衍義」でいいますと、例えば「夫婦相和シ」というのはどういう意味かといいますと、国家の安定のために夫婦の相愛を求め、「妻タルモノハ、夫ニ柔順ニシテ、妄ニ其意志ニ戻ラザランコトヲ務ムベシ、」男女平等とはほど遠い解説になっております。
さて、このいわゆる十二の徳目のうちの最後のもの、「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。」これは真っ当な中身ですか、否定すべき部分ですか。
○下村国務大臣 相当解釈が違っているのではないかと思いますが、教育勅語の十二の徳目、これも、現代語訳としての教育勅語の十二の徳目というのが一般的に流布されているものとして、これは例えば孝行というのは、親に孝養を尽くしましょうとか、それから友愛というのは、兄弟姉妹は仲よくしましょうとか、それから夫婦の和というのは、夫婦はいつも仲むつまじくしましょうとか、それから朋友の信というのは、友達はお互いに信じ合ってつき合いましょうとか、そういう、先ほどから申し上げているように、これは、戦前戦後、あるいは国を超えて、ある意味では普遍的な徳目ではないかというふうに思いますし、こういう徳目について何ら否定するべきことではないのではないかと思います。
それから、今御指摘のあった点でありますが、これも文部省の図書局の「教育に関する勅語の全文通釈」の中で現代語訳をいたしますと、「万一危急の大事が起ったならば、大儀に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。」こういう言葉なわけです。
この中で「皇室国家」という言葉は、これは現代において当てはまらないというふうに思いますが、しかし、何か我が国が危機に遭ったときにみんなでこの国を守っていこう、そういう姿勢そのものは、これはある意味では当たり前の話だと思います。
○宮本委員 これも驚くべき答弁ですよ。あなたの訳でも一身をなげうって尽くせという話について、至極真っ当だと。そんな話を言ったら、それこそ戦前の反省というのはどうなるのかということを言わざるを得ません。
「勅語衍義」でこの「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、」というのはどういう説明になっているか。これは当時文部省が公式の解説書としてつくったものですけれども、この中を見ますと、「世ニ愉快ナルコト多キモ、真正ノ男子ニアリテハ、国家ノ為メニ死スルヨリ愉快ナルコトナカルベキナリ、」とまとめているんですね。まさにそう解説していますよ。
皇運というのは、先ほど大臣が述べられたとおり、天皇、皇室の命運です。要するに、天皇のために死ぬことが最も愉快なことだと、まさにその時代、教育勅語を使って子供たちに教えたわけです。こんなものが適切でないのは当たり前じゃありませんか。いかがですか。
○下村国務大臣 答弁を正確にお聞きになっていただきたいと思うんですが、私も、皇室、国家のために尽くせということは適切でない。しかし、何かがあったときには国のために守ろうということは、国民にとって当たり前の話です。その守るものが皇室とか国家ということじゃなくて、自分の、ある意味では共同体ですね、これを守ろうという姿勢を持つことは、それは当たり前の話だと思います。
○宮本委員 何かがあったときには一身をなげうって、皇室とは言わないが、国家その他のものを守るべきであるということをこれから子供たちに教える、それは適切だと。そんなことを言ったんじゃ文部科学大臣は務まらないと。私は、これは引き続きはっきりさせなければならない問題だと思っております。
実は、教育勅語は現にそのようなものとして子供たちに教え込まれ、そしてその結果、戦前の教育は多くの若者を戦場に送り出したのが歴史の真実でありました。だからこそ、その反省に立って、戦後直後の国会では、この勅語の排除あるいは失効確認が衆参両院で全会一致で可決をされております。
一九四八年六月十九日、衆議院本会議で教育勅語等排除に関する決議が全会一致で可決をされました。決議では、「思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。」と述べております。
大臣、この決議は今日でも有効である、お認めになりますね。
○下村国務大臣 もちろん有効です。
ただ、私が申し上げているのは、主権在民の観点から見て、この教育勅語の文言については適切でない、それはそのとおりだというふうに思いますが、何回も申し上げていますが、その中の徳目的な中身については普遍的なものがあるのではないかというふうに申し上げておりますけれども、前回もほかの委員から質問がありましたが、戦前の教育勅語をそのまま復活しようとか、そういう考え方は全く持っていないということであります。
○宮本委員 この国会決議は、あなたが言うように、至極真っ当なことが書かれているとは一言も言っていないわけです。根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損ない、かつ国際信義に疑点を残す、こう述べております。
当時、この中に一部、徳目など通用するものがあるんじゃないか、そういう議論もあったけれども、いやいや、それも含めてこういう形で失効を確認する、排除するということを国会の議をもって決議したわけです。
この決議を受けて、当時の森戸辰男文部大臣は教育勅語の思想的背景について何と述べているか、局長、お答えいただけますか。
○清木政府参考人 御質問の昭和二十三年六月十九日衆議院本会議におけます当時の森戸辰男文部大臣の発言でございますが、「思想的に見まして、教育勅語は明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたいものであることは明らかであります。教育勅語は明治憲法と運命をともにいたすべきものであります。」という内容でございます。
○宮本委員 同じ文部大臣でも、あなたと大違いだと言わなければなりません。
さらに、二〇〇〇年、当時の森喜朗首相のいわゆる神の国発言が大問題になったとき、五月二十二日衆議院決算行政監視委員会で、我が党の志位和夫議員が森首相と教育勅語をめぐって議論をいたしております。
このときも、当時の森首相は、「夫婦でありますとか、兄弟でありますとか、あるいは父母にというところは、私は永遠のやはり大事な真理ではないか」などと述べつつも、教育勅語には当然否定すべきものもあると答弁しております。
局長、それは何でありましたか。
○清木政府参考人 御質問の、平成十二年五月二十二日の衆議院決算行政監視委員会におけます当時の森内閣総理大臣の答弁でございますが、「いわゆる超国家的主義、あるいは国の命令で何をしてもいいんだとか、そういう考え方は当然否定すべきものだというのは当然じゃないですか。」という内容でございます。
○宮本委員 当時の森喜朗首相も、教育勅語そのものの中身は至極真っ当なことが書かれているなどとは言っておりませんね。皇国史観的なことは認めるわけにいかない、超国家的な思想はよくないとはっきり答弁をいたしました。
続いて、二〇〇六年六月二日、第一次安倍内閣における教育基本法改悪に向かう教育基本法に関する特別委員会で、民主党のある議員が教育勅語の現代訳を配付して、「一体、歴史的に、教育勅語というものの中身で何が悪かったのか、」と当時の自民党政府に迫ったんです。
このとき、当時まだ内閣官房長官だった安倍晋三現総理は、教育勅語の中身のどこに問題があると答弁しておりますか、局長。
○清木政府参考人 御質問の、平成十八年六月二日の教育基本法に関する特別委員会におけます当時の安倍内閣官房長官の答弁でございますが、そのまま読ませていただきます。
「この原文につきましては、いわば皇運という言葉がされていたり、いわば新憲法の理念、教育基本法が制定されたときにはまだ旧憲法でありますが、既に新憲法はつくられていたわけでありますが、その中で新たな教育の理念を定めたものが教育基本法である、このように思うわけでありまして、戦後の諸改革の中で、教育勅語を我が国教育の唯一の根本とする考え方を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが禁止され、これにかわり、我が国の教育の根本理念を定めるものとして昭和二十二年三月に教育基本法が成立されたものである、このように理解をいたしております。」という内容でございます。
○宮本委員 まさに、当時の安倍晋三官房長官でさえ、これは、父母に孝、兄弟に友、夫婦相和しなどは大変すばらしい理念と言いつつも、皇運という言葉を挙げ、教育勅語には真っ当でない中身がある、そして、これが否定されて戦後の教育基本法が成立されたものであるという答弁をしておられるわけです。
大臣、それをあなたは、ことし四月八日、参議院文教科学委員会の質疑でみんなの党の議員に問われて、「その内容そのもの、教育勅語の中身そのものについては今日でも通用する普遍的なものがあるわけでございまして、この点に着目して学校で教材として使う、教育勅語そのものではなくて、その中の中身ですね、それは差し支えないことであるというふうに思います。」と答弁をいたしました。
教育勅語を学校で教材として使うことが差し支えないと答弁したのは、文科大臣としてあなたが初めてだと私は思うんですが、こんなことが許されるんですか。
○下村国務大臣 宮本先生、正確に私の言葉についてやはり言っていただきたいと思うんです、議事録においても。教育勅語をそのまま使っていいと思うとは一言も申し上げていないと思います、そもそも。
今いろいろと局長等から答弁されましたが、森戸辰男文部大臣の答弁、それから当時の森総理大臣の答弁、また安倍官房長官の答弁、この答弁と中身的に、言葉としては言い方は違いますが、その姿勢、考え方というのは全くこれは私も違っていないと思いますよ。
先ほどから申し上げていますように、教育勅語そのものを復活させるとかまた使うということについてはこれは適切ではない、ただ、その中身の徳目については現代でも通用する部分があって、その中身の部分について今の子供たちに、例えば孝行とか、友愛とか、夫婦の和とか、朋友の信とか、博愛とか、そういう徳目的なものを教えるということについては問題ないということを申し上げているわけであって、教育勅語をまた復活させるべきだなんということは一言も申し上げていないということについて、これははっきり申し上げたいと思います。
○宮本委員 その十二の徳目というものも一つ一つ私は随分研究しましたよ。当時のどういうふうに語られたかということを調べてみれば、例えば忠孝一体。親孝行の孝というのも、実は、忠という、国や天皇に対する忠誠と一体のものであるということが語られていますし、「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。」というものに全てが係っていって、いざというときに全てをなげうっていけるように、日ごろから夫婦は仲よく、友達とも関係をきちっと努めておけという文脈になっているわけです。
それで、今大臣は、教育勅語そのものを副教材でと言ったわけではないと。なるほど、そういうふうにおっしゃっております、この答弁は。先ほど私も正確に引用しましたよ。
ところが、この同じ質問に対して、大臣の前に答弁に立った前川初等中等教育局長は、「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており」、「これらの点に着目して学校で活用するということは考えられる」などと答弁をいたしました。大臣でさえ教育勅語そのものではないと条件をつけているものを、前川局長は、無条件に教育勅語を「学校で活用するということは考えられる」という答弁をしたんです。
局長、これは重大な答弁ではありませんか。
○前川政府参考人 教育勅語そのものを、その扱いも含めて戦前のような形で学校教育に取り入れることは、否定されるべきものと考えております。したがいまして、教育勅語そのものを教材として使うということは考えられないところでございます。
一方で、教育勅語に列挙された徳目の中には今日でも通用するような内容も含まれており、その内容に着目して活用するということについてはあり得るのではないかということでございまして、大臣と同じ趣旨を申し上げたつもりでございます。
○宮本委員 政治家がさまざまな政治的立場で述べるということはあっても、初中局長たるものが教育勅語の中に今日でも通用するものがあるというふうに答弁するというのは驚くべきことですよ。私は、そんなことは断じて認められないと言わなければなりません。
少なくとも、無条件に教材として活用できるかのように答弁したこの答弁は訂正をしていただかなければならないと思います。
同時に、大臣、教育勅語の文言には真っ当でないところもある、つまり、全てが真っ当だと言ったわけではないとおっしゃるわけだけれども、しかし、あなたが大臣会見で述べたことは、「教育勅語そのものの中身は、至極全うなことが書かれている」、こういうふうに、まるで中身は全部真っ当だと言わんばかりの表現になっているんですよ。ホームページにはその文言が載っているじゃありませんか。
大臣、これは少なくとも訂正すべきだと思いますが、いかがですか。
○下村国務大臣 それはまさに宮本先生の拡大解釈ですね。私が申し上げているのは……(宮本委員「いやいや、そう言っているじゃない」と呼ぶ)いやいや、さらに詳細に申し上げれば、徳目の点で、「夫婦相和シ」「朋友相信シ」、ただ、そのことも、宮本先生のその解釈でいったら、それはまさに皇国史観的な中での「夫婦相和シ」であったり「朋友相信シ」であったりということを言われましたが、私は、戦前でそういう言葉の使い方をされていたということがあったとしても、ただ、現在における「夫婦相和シ」とか「朋友相信シ」というのは、そういう意味でみんなが使っているわけじゃないわけですから、言葉の定義は言葉の定義として純真にそのまま受けとめるべきだというふうに思います。
○宮本委員 教育勅語は十二の徳目だけを書いているわけじゃないと言っているじゃないですか。
だから、中身が真っ当だというのは、真っ当なものもあるとおっしゃるならまだしも、中身は至極真っ当だと。全くおっしゃっていることとも違うので、撤回すべきだと私は申し上げているんです。
撤回さえできないとしたら、まさに私の指摘どおり、安倍政権が本法案で教育委員会の独立を奪ってまで狙っているのは、侵略戦争を美化する安倍流愛国心教育の押しつけにほかならない、このことの何よりの証左だと言わなければなりません。
戦前の軍国主義教育の中心に置かれてきた教育勅語を至極真っ当と公言してはばからないようなゆがんだ教育を子供たちに押しつけることは断じて許されないということを指摘して、私の質問を終わります。終わります。
○下村国務大臣 まさに拡大解釈でありまして、私は、全ての内容が真っ当だとは一言も申し上げていません。真っ当な内容もあるということを申し上げているわけであります。
○宮本委員 「も」とは言っていないんですよ。もう一度読んでください。
終わります。
○萩生田座長 次に、宮本岳志君。
○宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。
きょうは、三人の意見陳述者の皆様方、大変貴重な御意見、ありがとうございました。私の方から、これから質問をさせていただきたいと思います。
座って質問させていただきます。
まず最初に、奥山市長にお伺いしたいのです。
奥山さんは、教育長も経験をされた、そして、最初のお話の中でも、首長と教育長との連携が大事だというお話もございました。
それで、実は、昨年の八月の中教審教育制度分科会に、青木先生と同じ学問分野、教育行政学の東大大学院の先生であります村上祐介准教授が調査結果を報告しているんです。
全国千百二十の市区町村の首長と教育長にアンケートをとったところ、教育委員会の独立が首長にとって制約になっているかという問いに対して、首長の五一%、教育長の五九%がノー、制約には感じていない、それから、合議制の教育委員会があるために事務執行が停滞しがちかと聞いたら、これも首長の六二%、教育長の七六%がノー、そんなことは感じていない、それから、教育委員会を廃止して首長が教育行政を行うべきかと問いましたら、首長の五八%、教育長の八五%がノー、そんなことは別に望んでいない、こういう答えが出たんだというのが報告されております。
それで、恐らく奥山市長であれば、現状でもそういう連携をしておられるんだろうと思うので、別に何も不都合はないんだろうと思うんですけれども、こういう結果について、市長としてどうお感じになるか。あわせて青木先生にも、この調査結果についてどういうふうにお感じになるか、お聞かせいただきたいと思います。
○奥山恵美子君 申しわけございません。私は、その調査結果、詳細について把握していないので、今お伺いしたお話をもとにお答えをさせていただくところであります。
まず、教育委員会側に長く勤務する職員にとっては、やはり教育委員会の今の運用、運用というか制度がある程度所与のものとして身についておる部分もございますので、そういう意味で、差しさわりがないというような答えが大勢になってくるというのも、現状というのは人間の認識に対して肯定的に働く場合が多いのではないかと思いますので、私も、そういう数字の結果そのものは、そんなところも加味されているだろうなというふうに思います。
ただ、私自身も、教育委員会制度は一定の役割を果たしてきつつあるし、また、今、必ずしも、完全に形骸化しているといって一〇〇%否定すべきものだとは思っていないということは、先ほど来お答えをさせていただいたとおりでございます。
しかしながら、全く問題がないかというと、もうさすがにそこまで、全く非でもないけれども全く是でもないというところはあろうかと思いまして、その大きなものが、やはり最終的な責任の不分明さというところにあったというふうには思います。
今回さまざまな、きっかけはありましたけれども、教育委員会制度について改めて広範な議論が行われて、ただいまのような法改正という具体のところまで議論が深められてきたということについては、教育委員会が長らく戦後同一の形態の中でやってきたものに対する問題意識という意味での、一石を投じるという意味合いは大きくあったのかなと思っております。
あと、では、現状がどうなるかということについては、先ほど青木先生がおっしゃいましたように、私は、どのような制度であれ、この制度であれば現実が一〇〇%うまくいくという一対一対応ではなく、その中に運用という、これをどう使いこなしていくかという現場の動きなり知恵が必要だと思っておりまして、その知恵と具体の形をつくっていくのが我々基礎自治体に課せられているこれからの役割だろうとも思っていますので、しっかりと目的に合致した運用にするようにという自覚が、むしろ我々運営者側の方に求められているというふうに思っています。
○青木栄一君 お答えいたします。
まず、学術的な精査というのは、恐らく別途必要な作業になると思いますので、そこは御容赦いただきたいと思います。奥山市長がおっしゃったように、現行制度の当事者に聞く意識調査というのはそういった結果になりやすいという傾向がある、これは学術的にも種々の調査の再検証で言われているところでして、やはりそういうことも踏まえての議論が必要かなと思います。
私自身のことで申しますと、意識調査よりは実際の行動について関心がありまして、例えば、先ほどの意見陳述でも申しましたように、今般の改革で、今後の課題として、やはり教育行政の専門性について、大事だろうと申し上げました。そのことについて、まさに今、昨年度末来、教育行政の組織の専門性について、各教育委員会の皆様に御協力いただいて調査をしているところです。
ただ、先ほど申し上げましたように、現行制度の当事者は現行制度についてなじみがあるので肯定的な評価をしやすいということは、それを踏まえて、だからこそ、もう少し違った目から少しずつでも改革をしていく、それも一つ重要なことかなと思っております。
以上でございます。
○宮本委員 ありがとうございます。
市長からも、責任の所在ということについてはいささか不明確さがあるという話がありました。
私は、教育委員会ということを論じるときに、基本五名の方々から成る合議制の執行機関としての教育委員会というものと、教育長以下の教育委員会事務局というものとは分けて考える必要があろうかと思っているんですね。
青木先生からも、そして有見先生からも、大津のいじめ事件について触れられました。
実は、大津のいじめ事件では、その後、第三者調査委員会が設置をされまして、詳細な調査報告書が出されております。
つぶさに読みましたけれども、実は、教育委員さんたちは、いじめの隠蔽というような事態について全く何も知らされていなかった、あれは教育長をトップとする教育委員会事務局のところでやられたことであった、教育委員はそれを全くチェックできなかったと。ですから、この調査委員会の結論は、教育委員に存在意義がないのかと問えば、否だ、存在意義がある、チェックするという役割をむしろ果たせていなかったんだ、そしてその役割は小さくはないと。これが報告書の結論なんです。
だから、私は、形骸化という事実があるとすれば、その本来の役割を本当に果たせるようにすることこそ改革の方向だ、こう思うわけですけれども、このあたりについて、青木先生、そして今度は有見先生の御意見をお伺いしたいと思います。
○青木栄一君 お答えいたします。
まず、教育委員会制度の形骸化と大津の事案との関連ということです。
よく制度疲労ということが教育委員会批判で言われるわけですが、動いていないという現象をどう考えるかというときに、使い続けて壊れてしまったので動かないという場合もあるとは思うんですが、事教育委員会制度に関して言えば、余り使われなかった、あるいは使う必要がなかったということなのかなと思っております。
教育委員会制度で、制度上、特にこうした現場レベルの情報が教育委員のレベルに上がってこないということについては、先ほど教員集団という文化的な背景から申し上げましたが、教育委員会制度固有の問題として申し上げますと、やはり教育長の教育委員の兼任制というものが影響していた可能性があると思います。もう一つは、運用レベルでいいますと、教育委員会の教育長に対する指揮監督権というものが運用上幾分制約されてきたということが言えると思います。
ひとまず、以上で閉じたいと思います。
○有見正敏君 今委員がおっしゃったように、知らされていなかったということ自体、私はちょっと不思議な感じがするんです。
やはり、今までの制度、教育委員長と教育長が、教育委員長は非常勤である、教育長は教育の専門家であるというようなことで、立場上、教育長から見れば教育委員長は上司なわけでありまして、ただ、教育委員長にしてみれば、教育長に物申すというような、立場といいますか、その辺のニュアンスもありますけれども、そういったこともあるのではないかというふうに思うんですね。
そういう意味では、やはりどちらかに責任を一本化するということの方が、今後そういったことを踏まえたときに大事なのではないかなと私は思っているわけであります。
今後、政府案などの、今度の教育長に権限を与えるということになれば、先ほどもありましたけれども、教育委員会の中そのものが、人選から始まって、そういうあり方が問われることになろうか、そんなふうに思ってございます。
以上でございます。
○宮本委員 ありがとうございます。
あの報告書を読みますと、本当に、新聞報道やテレビで見て、電話で連絡をとり合って、これは、どんなことが起こっているんだ、教育委員たちがそういうありさまだった、正式に教育委員会の会議で報告を受けたのは随分後だったということになっていまして、やはり事務局のところでそういうことがずっと行われていたということが明らかなんですよね。
だから、形骸化ということがよく言われますけれども、それは、本当に教育委員会の本来の役割を発揮できていないという現状をどう改善するかという問題だと私たちは捉えているんです。
ここでちょっと話をかえまして、有見先生にお伺いしたいのです。
先ほど私も名取市の閖上中学校を視察させていただきました。学校で生徒さんの死亡が、十四名のとうとい命が奪われた。今でも仮設でありますし、それから七台のバスで登下校をしているという状況をつぶさに見てきたわけです。
被災地での今後の学校現場の再建やあるいは復興ということを考えたときに、有見さんの方から、こういうことをもっと国として援助してほしい、お願いしたいということがございましたら、ぜひお聞かせいただきたいと思うんです。
○有見正敏君 お答えしたいと思います。
私は、昨年まで県の中学校長会の会長をしておりまして、被災現場を何度か回らせていただきました。全日本の中学校長会からも何度か視察にお見えになって、全国からは多大なる御支援それから義援金等を頂戴いたしました。校長会としては、その義援金を被災の各学校に配分したり、そんなお仕事をさせていただいたところでございます。
今、三年と一カ月たったわけですが、震災を受けた学校での一番の課題は、心のケアというものが一つあります。
それから、あの震災で、現場の先生方が、先頭を切って一番献身的な働きをしたわけでございます。私も、ちょうどそのころ、石巻の事務所におりました。先生方の献身的な姿に、本当に頭の下がる思いでおったところでございます。
今、先ほどのを続けますと、心のケア、そしてもう一つ、先生方の精神的な、そういったところが、あの阪神・淡路の教訓でも、三年後に出てくると。先生方も、健康面で阻害されているのが現状でございます。
そういう意味では、県の方も、いわゆる加配教員というようなことで、いろいろな御配慮をいただいております。スクールカウンセラーの日数をふやして、ふだん、今は中学校では、スクールカウンセラーが一人、一週間に一回来る割合になっているわけですが、その日数をふやすということは、スクールカウンセラーの人数をふやすとか、そういった行政からのあれをいただいているところでございます。
現場としては、やはりその加配教員をもっともっと現場に多く、震災に対応できる加配教員ということになるとまだ少し足りないのかなというふうに思っておりますので、経済面での条件整備といいますか、そういった御配慮もいただければありがたい、そんなふうに思っておるところでございます。
以上でございます。
○宮本委員 ありがとうございます。お聞かせいただいた御意見をしっかり受けとめて頑張りたいと思います。
政治が教育に金も出さずに教育内容に口を出すというのは一番やってはならないことだ、私はそう思っておりますので、どうぞ今後とも、ぜひよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。