156 – 参 – 憲法調査会 – 6号 平成15年05月07日
平成十五年五月七日(水曜日)
午後一時一分開会
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出席者は左のとおり。
会 長 野沢 太三君
幹 事
市川 一朗君
谷川 秀善君
若林 正俊君
堀 利和君
峰崎 直樹君
山下 栄一君
小泉 親司君
平野 貞夫君
委 員
愛知 治郎君
荒井 正吾君
景山俊太郎君
近藤 剛君
桜井 新君
椎名 一保君
世耕 弘成君
中曽根弘文君
福島啓史郎君
舛添 要一君
松田 岩夫君
松山 政司君
伊藤 基隆君
江田 五月君
川橋 幸子君
木俣 佳丈君
高橋 千秋君
ツルネン マルテイ君
角田 義一君
松井 孝治君
若林 秀樹君
魚住裕一郎君
高野 博師君
山口那津男君
宮本 岳志君
吉岡 吉典君
吉川 春子君
田名部匡省君
松岡滿壽男君
大脇 雅子君
事務局側
憲法調査会事務
局長 桐山 正敏君
参考人
駒澤大学法学部
教授 西 修君
龍谷大学名誉教
授 上田 勝美君
一橋大学大学院
社会学研究科教
授 渡辺 治君
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本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
(平和主義と安全保障
―憲法前文と第九条)
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<9条こそ戦争違法化の先駆的な到達点>
(参考人への質問)
宮本岳志君 日本共産党の宮本岳志です。
三人の参考人の先生方、大変御苦労さまでございます。
まず、上田先生、渡辺先生にお伺いをいたします。
上田参考人も、第一次世界大戦後の国際連盟規約、一九二八年の不戦条約、四五年の国連憲章等々を挙げられて戦争の違法化への努力が世界の流れであると、こういうふうに指摘をされました。日本国憲法は一層それを進めたものだというふうにも述べておられます。
また、渡辺先生は先ほど、二十一世紀に正に武力による平和か武力によらない平和かということがいよいよ問われるということもおっしゃいました。
私どもも、第一次世界大戦までは侵略戦争が天下御免の時代だったと、しかし、二つの世界大戦を経て武力行使の禁止、紛争の平和的解決というのが国際的なルールとなるところまで人類史が発展してきたというふうに認識をいたしております。そして、憲法、日本国憲法九条こそその戦争の違法化の最も先駆的な到達点として世界に誇るべきものだと、こういうふうに考えておりますけれども、この点について、上田参考人、渡辺参考人のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
参考人(上田勝美君) おっしゃるとおりですね。日本、さっき言いましたように、人類の歴史は闘争の歴史で、戦争の歴史であったけれども、同時に、戦争否定の歴史を刻んできたということを言いました。各国の憲法、あるいは不戦条約、国連憲章、そのとおりですけれども。
二十一世紀をどうするかという問題を考える場合に、しょっぱなから戦争になっちゃったわけですね。先ほど私は冒頭に、国連憲章の前文が今世紀に二度まで悲惨な世界的規模の戦争をと、これは二十世紀の反省として国連憲章ができたんです。だのにということですけれども、やはりそういう意味では、一国平和主義じゃなくて万国の戦争放棄の憲章作りに積極的な働き掛けをすべきであろうと思います。もちろん、二つ目には、国連憲章を大国中心の枠組みを変更していく必要があるというふうに思いますけれども。
ただ、ここで申し上げたいのは、二十一世紀の世界的な課題とは何ぞやというふうに思いますと、もちろん領土を拡張したり資源を獲得する、軍事力でする時代じゃないことは皆知っているんですけれども、やっぱり環境保全ですね、世界の環境保全。
だから、京都、私は京都だけれども、京都議定書というようなものはクリントンのとき認めておって、ブッシュになったらぱっと消え、捨ててしまうとかね、あれじゃまずい。やっぱり日本が非常に先進的な役目を果たすことができます。
それから、南北問題について、これはやっぱり日本が平和主義の憲法を押し立てて相当な国際貢献ができるという問題があると思います。
それからもう一つは、やっぱり人口問題というものが、今六十二、三億かと思いますけれども、二〇五〇年には九十三億人になると言われておるわけですね。日本の人口、総人口は減りますけれども、中国の十二億を飛び越しましてインドが十五億になるという人口統計がありますけれども、この六十二、三億が九十三、九十億を超えるというのは物すごい問題を惹起してくると思うんです、いろんな問題で。これはやっぱり平和的に、各国が正にこれこそ国際協調で解決すべき問題だと思いますね。
それと、やっぱり核は、核軍縮じゃなく核廃絶に向けて、これ、とことん日本が先頭を切ってやるべきだと。
そういう意味で、やるべき課題、政治課題が一杯あるわけですよ。だから、有事立法なんか作っている時代じゃないんですということがまず言いたいんです。
参考人(渡辺治君) 基本的に宮本委員のおっしゃることは私も同感ですが、二つだけ補足しておきたいのは、一つは、確かに戦争違法化から世界平和へ向けての大きな歴史的な流れはある、それは私もそう思っています。しかし、現実に二十一世紀の、今、上田参考人も言われましたが、現実に二十一世紀のこの十年ということを考えますと、明らかにそうした方向とは違った流れがあるんですね。
冷戦終えん後のやはりこの十年を考えてみると、アメリカの帝国化といいますか、それの下での力によるグローバル秩序の維持のための相次ぐ戦争、こういう問題がやっぱりありまして、そうそう歴史というのはたんたんとただ世界の平和に向かっていくということではなくて、これをどうやって阻止するものかと。イラクの戦争をどうやって、もうやられてしまいましたけれども、これを実際に国連中心の形でイラクの復興とか再建というものをどういうふうに考えていくのか。
それから、北朝鮮の問題についても、ブッシュの戦争をアジアで起こさせない、それじゃ北朝鮮を含めたアジアの平和を実際に具体的にどう作っていくのか。そういう中で九条を使わないと、ただ歴史の方向だというだけでは私は非常に不十分だというのが一つですね。ですから、今の逆流をどうやってもう一回逆転させるのかということについての平和構想というものが必要なんじゃないか。
それから二番目に、確かにおっしゃるとおり、日本国憲法というものが持っている理念的な役割というのは非常にあると思うんですが、私が今日是非とも強調したいのは、日本国憲法というものがあっただけではそんなに大きなガイドラインとはならなかったと思うんですね。それをやはり、日本の保守政権と、それから社会党とか、今でいう社民党とか共産党とか労働組合がそういう憲法の改正に対して反対する、安保条約の改定に対して反対する、それからベトナム戦争に反対する、そういう闘いの中で憲法九条の具体的な制度化というのを、もしかしたら保守政党は嫌々なんだけれども強制されて作ってきたわけですよね。それが私は世界の平和にとって大きな一歩を作っていると。単に紙っぺらだけだったらそれが大きなインパクトになるかといったら、私はそうじゃないと思うんですね。やっぱりそれに基づいて作られた様々な、非核の原則とか海外派兵をしない原則とか防衛力についてのかなり重大な限界とか、そういうものを含めた上で私は、日本国憲法の国民的な実践が世界の平和の問題について果たした役割を、率直にそれを評価して、それをどうやって前進させるかということを考えるべきだと思っています。
<諸国は国連を「無力」とは考えない>
宮本岳志君 西先生、今日は憲法調査会として初めて平和主義と安全保障についての調査に入ったわけです。今日は是非重厚な憲法論をと思っておりましたけれども、先生の方から質問がございましたもので、この場は参考人が委員に対して質問する場ではないんですけれども、あえて言わせていただきたいと思うんです。
我が党の人民共和国憲法草案というものは、これはあくまで歴史的な文書なんですね。それで、戦後、日本で新しい憲法制定が問題になったときにいろんな党派がその案を出した。その中で我が党の、当時の党としてこの草案を提案をいたしました。現在や今後の我が党の行動をこれを基準に図るものではないということも繰り返し明らかにしてきたことなんですね。
御指摘のこの本ですね、論評と資料としているように、資料として光を当てたものなんですね。現在も我が党がこれを改正案として掲げているというのは、これ全く事実に反するということは申し上げておきたいと思います。
そこで、私の方から先生にお伺いしたい。
西参考人も著者の一人となっている「新しい日本の憲法像」という本がございます。この本ですね。この本の中では、例えば百三十六ページに、国際政治の専門家で、今後国連軍が結成され、国連が集団安全保障機能を発揮するようになるとの見方をしている者は皆無だと、こう述べて、この中に出てくるんですよ。つまり、国連は無力だということをここでお書きになっているわけですね。
しかし、私はここに九一年七月にあったロンドン・サミットの政治宣言というのをお持ちしたんですが、この九一年のロンドン・サミットでは、我々は、今や国際連合にとって、その創立者の公約と理想を完全に実現するための条件が整っているものと信じると、こう述べて、我々は人権を擁護し、すべての者にとっての平和と安全を維持し、及び侵略を抑止するために国際連合を一層強力、効率的かつ実効的なものにすることを誓約すると、サミットはそう宣言したわけですね。
国連、無力だと、そんなことを考えている者は一人もいないということに照らせば、このロンドン・サミットの宣言も極めて世界の流れに反するという主張になろうかと思いますけれども、その辺り、西参考人はどのようにお考えになっておられますか。
参考人(西修君) いや、私、済みません、私の、もう一度ちょっと文章をあるいは読んでいただいたり見せていただければ、ちょっともう少しはっきりできるかと思いますけれども、どんなことを私、言っているでしょうか。
宮本岳志君 この本の中で……
参考人(西修君) 私の部分ですね。私が書いている部分ですね。
宮本岳志君 はい、そうです。
いや、先生も共著ですが、別の方のお書きになった部分かも分かりません。この中に。
参考人(西修君) そうですか。
宮本岳志君 この考えに、じゃ先生はこの立場、違いますか。
参考人(西修君) そういうことですか。何か、私が書いた部分じゃないわけですね。
会長(野沢太三君) 宮本君、ちょっと指定どおりやってください。
宮本岳志君 百三十六ページです。
参考人(西修君) 百三十六ページ、私が書いたかどうかちょっとよく記憶がないんですけれども。
要するに、そういった私、記憶がないものですから、書いたということであれば私、責任持ちますけれども、定か、記憶、今の御質問は、国連の役割をどう考えるかというふうに短絡して考えてよろしいわけですか。そういうことですか。はい、分かりました。
会長(野沢太三君) 宮本君、よろしいですね。
宮本岳志君 はい。
参考人(西修君) まず最初にお礼を申し上げなきゃいけないんですけれども、私の本当、素朴な疑問に対してお答えいただけたことを大変感謝いたしております。
ただ、ここに光を当てるとかと書いてあるものですから、今なぜ光を当てないのかということで申し上げたわけで。
それから、もう一つちょっと申し上げると、先ほど一番最初に述べられた、国連、国際連盟、不戦条約、それから国際連合憲章というものを踏まえて、何か国際平和の中で自衛的なものも駄目だというようなことは、今先ほどおっしゃったことはむしろ吉田首相が言っているわけで、むしろ、そのときの議事録を見れば、共産党を代表した野坂参三先生は、むしろ、自衛、我々は、過去になって、戦争にも侵略的なものもあれば自衛もあるんだと、自衛戦争は認められるんだと、はっきり昭和二十一年六月二十六日号だったと思いますけれども、そこではっきり言っているわけです。それに対するその吉田首相の答えが、一番最初おっしゃったような、いや、国権の発動たる、要するに自衛のために国権の発動としてやってきたのが駄目なんだということで、むしろおっしゃっているのは吉田首相のに近いんじゃないかなというふうに思いますので、ちょっと申し上げておきたいと思います。
それから、国連について一言申し上げます。
今のイラク紛争にしましても、イラク戦争にしても、やっぱりこれは国連の限界というものがかなり出てきているんじゃないかと思います。ですから、今後、国連をどうするかということですよね。要するに安保の常任理事国の中ではっきりしないと、こういう中で一体、国連の在り方というものが正に問われているというように思うんです。
やっぱり今は、私はアメリカのイラク戦争というものを一〇〇%は支持しませんけれども、しかし、九・一一テロ以降、いわゆるブッシュが言ったように、新しい皮袋の下における国際衝突といいますか、こういうものになってきたんじゃないかと。だから、あれを新しい戦争と言ったわけですけれども。そういう中で国連がどうやっていくかということで、私は今回、国連の限界が見えたと思うので、正に国連改革というものをどうするかということを突き付けられているというように理解しておりますけれども。
宮本岳志君 時間が参りましたので、一言だけ付け加えますけれども、我が党が現憲法に反対したのは、憲法九条の下で日本に自衛権がないという吉田首相の立場、これに対して我が党は、九条によっても我が国の自衛権は放棄されないという立場からこれに反対をしたということですので、その点をはっきりさせておきたいと思います。
以上です。
<戦後わが党が提起した憲法案の意義>
(自由討議)
宮本岳志君 先ほど参考人からも、我が党が憲法制定時に取った態度にも触れたお話がございました。この際、我が党の基本的立場を申し上げたいと思います。
まず、我が党の憲法草案については、先ほども述べましたように、戦争が終わった翌年、日本で新しい憲法を作ろうというときに、各党も憲法草案を出す中で当時の党が提案したものでございまして、歴史的な文章であり、現在の我が党の行動の基準となるものではありません。
では、我々は九〇年代になぜこの草案に光を当てたのか。それは正に日本国憲法をめぐる政治状況が九〇年代になって様変わりして、憲法見直し、改憲論が次々と登場し、憲法の原点と政党の基本的立場が厳しく問われる情勢となってきたからであります。
憲法の原点を確認するためには、憲法制定当時に各党派がどのような憲法像を提起してきたのかを改めて明らかにしなければなりません。
我が党の草案は、第二条で、主権は人民にあると明記し、当時の政党にあってはただ一つ、徹底した国民主権の立場を表明しました。なお、ここで言う人民という用語は、明治憲法の臣民という言葉に対し、民主主義の時代を迎えた国民を示す言葉として今日の国民と同義であります。
明治憲法の若干の手直しにすぎなかった政府の松本委員会案、天皇主権の進歩党案や自由党案、そして社会党案でさえ天皇に統治権の一部を与えるというものであったとき、我が党が明確に国民主権を主張した歴史的意義は明瞭だと考えます。
我が党は、この草案に基づいて、一九四六年六月、憲法改正案委員小委員会に憲法修正案を提出しました。その内容は、主権在民の原則の明記や天皇条項の削除とともに、戦争放棄条項に他国征服戦争に反対する、他国間の戦争に絶対参加しない旨を明記し、侵略戦争の放棄と中立政策の明記を求めるものでありました。
まず、主権在民の明記については、議会内外で憲法制定をめぐる最大の争点となり、国民の強い要求の前に、主権在民の保障を求める極東委員会の意向やGHQの政府への働き掛けも受けて、八月、衆議院の修正で憲法の前文と一条に「主権が国民に存することを宣言し、」など、主権在民の原則が追加して書き込まれることになったのです。
しかし、我が党は、憲法草案の採択に当たり反対の態度を取りました。その理由は大きく言って次の二つです。一つは、天皇条項が主権在民の原則と民主主義の徹底という見地から見ればやはり不十分なものであると考えられたこと、二つには、我が党は憲法九条の下でも急迫不正の侵害から国を守る権利を持つことを明確にするように提起してきましたが、当時の吉田首相の答弁は九条の下で自衛権はないとの立場であり、我が党はこれを日本の主権と独立を危うくするものだと批判して反対の立場を取りました。
その後、戦力の不保持を定めた憲法九条の下でも我が国が自衛権を持っていることは広く認められるようになりました。我が国に自衛権があるということは我が党の一貫した見地ですが、そのことと自衛のための戦力の保持が認められるということとは、もちろん全く別の問題です。
先ほど上田参考人も強調したように、日本国憲法は、九条一項で侵略、制裁、自衛の一切の戦争を放棄するとともに、二項では一切の戦力の不保持、交戦権の否認を規定しています。
したがって、国民の合意の下に憲法九条に違反する自衛隊を解消して、あくまでも憲法九条の完全実施を目指すというのが我が党の一貫した立場です。我が党は、この半世紀、現憲法の平和的、民主的条項を擁護し、九条改悪による軍国主義復活に一貫して反対を貫いてきました。同時に、国際社会の現実の変化に対応して、憲法九条に対する認識も深め、発展させてきました。
今日、我が党は、第一次世界大戦までは侵略が天下御免の時代だったが、二つの世界大戦を経て、武力行使の禁止、紛争の平和解決が国際的ルールとなるところにまで人類史が発展しているとの認識に立ち、今や我が国が恒常的戦力によらないで安全保障を図ることが可能な時代が到来しつつあるとの立場を表明しています。これは、正に憲法九条の完全実施という我が党の一貫した方針の前進であり、発展であるということを申し上げて、私の意見陳述を終わります。